World Odyssey 地球一周旅行

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旅の日記
見たもの、乗ったもの、食べたもの…たくさんの驚きを写真と一緒にお伝えします。



▼PART42 2005.08.13 南米トレッキングの集大成だな[後半]/FONT>
>>ペルー ブランカ山群その3



■6日目:ラグーナ・ハンカルリィシュ下→ウィルカ

アルパマヨ撮影大会にすっかり時間を使ってしまった私たちが、ひとつ目の峠を越えたのは11時30分だった。このルート中2番目に高い標高だけにもっと苦戦するかと思っていたが、意外に早く越えることができた。オォッ? いけるんちゃうん? またもや甘い展開を期待してしまう私たちだ。

ところがやはり、そううまい具合には進まない。峠のあと下って進む谷の道が意外に長かったのだ。峠の上から見るのとではずいぶん様子が違う。よく言えば雄大、悪く言えば何もない草地を私たちはもくもくと歩いた。

2つ目の峠に差しかかるころだった。50メートルほど登ったところから、まっすぐ延びるトレイルを先へ進んだ。高度はしばらく変わらなかった。峠へは回りこんで入るののかなあ……地図で大まかな峠の位置の目星を付けていたのだが、ずいぶん離れていたので少し不思議に思った。だが、これまでもトレイルははっきりしていたし、今歩いているトレイルもクリアだ。きっと急な登りを避けてゆるやかに回りこんでいるのだろう、そう見ていた。

そのうち回りこみすぎて方角がわからなくなってしまった。

でもまあ、このまま行けば峠に出るのだろう。まだ楽観視していた。このあたりはゆるやかな丘ばかりで峠らしい場所はひとつもない。丘の向こう側には今日泊まるキャンプ地、ウィルカHuillcaが見えるんじゃないかなーなどとのんきに歩き続けた。

ついにトレイルが消えてしまった。長いなあとか、しんどいなあ、と感じるトレイルの時は、防衛本能なのか、脳みそが敏感に働かない(よく言えば無になって歩くという感じだ)。つまり、だらだらと長いトレイルに嫌気がさしたせいで、道がおかしいことにも気づかなかったのだ。それもずいぶん歩いてきてしまった。

双眼鏡で、ずいぶん前に私が峠だと思っていた方角を見てみる。どうやら間違いないようだ。ここまで2時間弱来た。戻らなくてはいけない。時間は現在16時過ぎ。日没は18時過ぎ。19時には真っ暗になってしまう。峠からキャンプ地まで正確な距離はわからないが5キロ以上はある。峠からでも1時間半から2時間はかかるだろう。どうする? 急いで戻っても峠は17時30分ごろの通過になるだろう。そもそも峠だと現在見ている場所が本当の峠かどうかもわからない。今日はここで中止したほうがいいんじゃないか。先ほど縦断してきた谷まで下りれば水の心配もなく泊まることができる……。

とりあえず、おそらく間違ったであろうポイントまで戻ろうということになった。谷へ戻りテントを張るにしても、峠を越すにしても、その分岐がポイントになるはずだった。

めちゃくちゃ早足で歩いたようで、間違ったポイントには17時前に着いた。日没まであと1時間。完全に暗くなるまで約2時間。今日のトレイルは、谷の底まで200メートルほど一気に下ったあとは、道路があるようだ。この道路を使ってキャンプ地のウィルカまで行けば、少し暗くなっても進めるかもしれない。それに谷まで下りてしまえば川がある。問題は峠から谷の底に下りるまでの200メートルだけだった。

進むことにした。峠は目の前だった。ここで停滞したら間違いなく日程が1日延びる。すでに「帰り道」モードに入っていた私たちは、やはり早く帰りたかった。峠を越えると、慎重に慎重に、峠あとの急斜面を下った。

ウィルカに着いたのは19時を過ぎていた。私たちは懐中電灯をくわえながら、テント設営をもくもくと進める。隣でここに住む少年らしき人物が私たちの作業をじっと見ていた。



■7日目:ウィルカ→ハンカ・パンパ

昨夜私たちの作業をじっと見ていた少年は、やはりここに住んでいた。エベレスという。ウィルカには彼の家がぽつんと1軒あるだけだ。

昨夜は「何か欲しい」という彼に、余分のある薬をプレゼントしたのだったが、今朝は弟や妹を連れて私たちのテントへ遊びにきた。この辺りではよくあることなのだが、彼らも同じように「甘いもの」が欲しくてやってくる。

かわいらしいから、と安易にあげてしまうのはよくない。彼らは虫歯になっても歯医者さんが近くにいないし、第一自給自足の生活が基本なのだから医者に払う現金を持っていないのだ。それなのに一方的に砂糖でまぶしたお菓子を与えてしまうのは決して彼らにとっていいことではない。彼らの生活の中にも質素ながら自然の甘みを持った食べ物があるはず……そうあってほしいと思う。

だが薬やボールペンは別だと思っている。ボールペンが欲しいと言われた時は、私たちも各自1本ずつ日記を書くために持っているだけだったので、さすがに躊躇した。それに、この辺りでは書きやすいボールペンを手に入れるのは難しく、やっと見つけたBicのボールペンは通常の3倍から5倍もするのだった。私たちにとっても高い買い物になる。それでも、私たちの方がまだ恵まれている。そう感じる時はプレゼントしてもいいんじゃないか、と私は考えている。

彼らは自分の家で飼っている子豚を見せてくれた。母ブタがナーバスになっているので、彼女が見ていないスキを見て巣に潜り込む。「はいっ!」とエベレスはカチカチの身をした子豚を抱かせてくれた。

アンデス高地に暮らす牧民の暮らしをエベレスに見せてもらえたことは、私たちにも貴重な体験になった。もっとゆっくりしたいが、今日も峠越えがある。また道に迷うといけないので、私たちは先を急ぐことにした。

今日の峠はパソ・ヤナコンPaso Yanacon。標高4,610mだ。ウィルカのすぐ裏にのびる谷、ケブラーダ・ヤンタ・ケヌアQuebrada Yanta Quenuaを奥まで進み、250メートルほどの標高差を経て峠に至る。そのあとは、いつもの通り400メートル一気に下って谷の底を出口近くまで縦断する。

もうここまで来るとパターンが見えてきている。5,000メートルから6,000メートルもの高い山々から落ちる氷河の後退あとを谷から谷へ昇降を繰り返しながらぐるりと回っているのだ。

そこまで地形がイメージできたとて、峠越えがラクになるわけでもない。目の前に立ちふさがる壁のような斜面を登り、峠を越えたのが13時。そのあと谷Quebrada Yanajancaを縦断しキャンプ地であるハンカ・パンパJanca Pampaに着いたのは、またもや日没ギリギリの18時過ぎだった。



■8日目:ハンカ・パンパ→ラグーナ・ウエクルコーチャ下

3回目のチェックポイントがやってきた。ここから近くの町ポマバンバPomabmbaまで1日で行くことができる。だが私たちはまだまだ行けそうだ。ここでもOKを出し、私たちは先へ行くことにした。これでまたひとつ、サーキット完歩に近づいた。

今日の峠はパソ・トゥパトゥーパPaso Tupatupa。標高は4,360メートルと少し低いのだが、ハンカ・パンパの標高が3,500メートルなので、意外に標高差がある。

ハンカ・パンパはダイナミックに展開するプカヒルカ氷河直下のパンパだ。息を飲むような光景が広がっている。そしてアンデスならではだなあと思うのが、そんなスゴイ場所で人々が暮らしているという事実だ。3日目に通ったルイナ・パンパ近くでも氷河の直下に暮らしている人がいたが、ここハンカ・パンパでも人々は、1日中家から氷河を眺めることができる。信じられない状況だ。

ハンカ・パンパには比較的大きな集落が点在している。ポマバンバまで1日という距離もいいのだろう。

トゥパトゥーパに向かう谷の入り口まで今日は少し距離がある。私たちは、すれ違う人に道を聞きながら先へ進んだ。

地図を見るとどうもおかしい。このあたりで川が二手に別れ、その右側に広がる谷へ入らなければいけないはずだ。だが途中で会った女の子は、トゥパトゥーパはこのまままっすぐ行けば大丈夫だ、と言っていた。でもやっぱりおかしい。

次に出会ったおじさんに道を聞くと、やはりトゥパトゥーパは別の谷だった。少し戻らなければいけない。このあたりはすでに国立公園の境界を越えている。そして集落が点在している。峠への道は(トレッキングのための)トレイルではなく、そこに住む人々の生活道路なのだ。迷うことをおそれない彼らは、いつもいつも同じ1本道を使うわけではない。それに人間より圧倒的に多く歩くのは、羊や牛だ。1本道を歩くわけがない。そうして錯綜したトレイルに私たちもまぎれてしまったのだ。

来た道を戻り正しい谷に入った。峠を越えたのは15時30分。またもや日没が迫ってきている。峠からの景色もそこそこに、今日のキャンプ地がある谷の底まで急いで下りた。

橋を渡って川の反対側に行くはずだった。だが、見落としたのか橋が見つからない。ついにキャンプ地のある2つ目の橋の対岸まで来てしまった。川は飛び越えるには微妙に幅が広く、歩いて渡るには深すぎる。でももうタイムアウトだ。今日もまた暗闇のなか、テントを設営した。



■9日目:ラグーナ・ウエクルコーチャ下→ラグーナス・モロコーチャ

昨日見つからなかった橋は少し戻ってみたが見つからなかった。ギリギリ何とか飛び越えられそうだった場所で、川を飛び越えることにする。本当にギリギリだった。

今日の峠はアルト・デ・プカラフAlto de Pucaraju。標高4,640メートル。この峠を越えれば、人気ルートと合流することになる。サンタクルス谷からヤンガヌコ湖へ歩くトレッカーたちと会うこともあるだろう。ここまでまったくトレッカーとすれ違わなかっただけに、少し人恋しく感じるのがおかしい。

いつものながら峠への道のりは長かった。牛や羊が歩き回っているエリアなので当然トレイルが錯綜している。おまけにいつもなら谷の行き止まり、つまり越えるべき峠はすぐに見え、その峠を目指しながら谷の奥へ奥へと進むのだが、今日はなかなか見えない。

何とか峠を越えたのは15時。そこからキャンプ地までも予想以上に時間がかかり、キャンプ地のラグーナス・モロコーチャLagunas Morocochaに着いたのはまたもや日が暮れたあとだった。暗闇のなか、夕食のパスタをもくもくと食べるのも今日で4日目だ。日ごとに月が満月に近づいているのがわかる。月がなかったらどうしていたんだろうね……そんな「もしも話」ができたのも、いよいよゴールが見えてきていたからかもしれない。



■10日目:ラグーナス・モロコーチャ→ラグーナ・イチコーチャ

いよいよ最後の峠を越える日がやってきた。これまでに越えた峠は7つ。今日越える峠で8つ目になる。今日の峠は名物パソ・プンタ・ウニオンPaso Punta Union。標高4,760メートルだ。この峠でサンタクルス谷の入り口からやってくる人とすれ違うことになる。

ラグーナス・モロコーチャはプンタ・ウニオンのすぐ手前にある。キャンプ地から見るとまるで屏風のように岩が立ちふさがっていて、1ヶ所だけ人ひとり、馬1頭が通れそうに岩が欠けている。そこが峠だ。

今まで越えたどの峠もそうだったが、峠からは名峰にぶら下がるダイナミックな氷河を見ることができる。谷の底をつきあたりまで進んで、急な斜面を上がり、よじ登った場所。その点のような場所からはいつも、ダイナミックな広がりを持つブランカ山群の山々を見ることができる。そして、ひょいと尾根の向こう側を見た瞬間、今まで歩いてきた谷を背に、新たなU字谷が目の前に広がっている。毎日毎日繰り返される峠越えはそれはそれはしんどかったが、この峠の「点」に立つ気持ちよさと、反対側に広がる全く別の景色に夢中になったことも事実だ。これは頂上を目指す登山とはちょっと違う楽しさだ。

そんなしんどくて楽しい峠も今日が最後になった。ここはビクトルに「できるだけ朝早く行った方がいい。すべてが見えるからね」と言われていた場所だ。だから標高4,300メートルの寒い寒いラグーナス・モロコーチャでも、峠に早く着くことができるベストな場所と言えた。

峠には9時20分に着いた。ここ何日間かの厳しい峠越えを思い返すと、なんだか拍子抜けしてしまうほどあっさり着いてしまった。峠ではたくさんの高峰が手に取るように見えたが、最後の峠を越えた喜びがあまりに大きすぎて、何をしていたのかもちょっと記憶にない。

とにもかくにも、ここまで無事来ることができた。あとは最終1日を残すのみ。明日の夜にはワラスに戻って、お疲れさまパーティ? 急に現実がわいてきた。今までできるだけそういったことを考えずにきたのだが、もう考えてもいいだろう。大好きなチファ(中華料理の店)でチャーハンにしようかな、それともポジョ・アラ・ブラサ(鶏の炭火焼きの店)でチキンにしよーかな……あっそれよりお風呂にも入りたいなー、そうだ、明日温泉に直行しよう……あー、もう最悪だ。今まで何も考えないようにしていた下界への思いが、どどっと溢れてくる。

そんなやましい気持ちがバレたのだろうか。今日のキャンプ地であるタウリ・パンパTaullipampaに着いたころには、バッチリ見えていたタウリラフTaullirajuの姿は雲の中に消えてしまっていた。時間は12時。まだまだ歩けそうだしね……と心はすでに下界に行ってしまった私たちは、もう少し先まで歩くことにした。今日少しでも先へ進んでおけば、明日ワラスに早く着くことができる。



■11日目:ラグーナ・イチコーチャ→ワラス

いよいよ最終日がやってきた。私たちの中では昨日峠を越えた時点で、気分はほとんど終了している。ケガをしないよう気を抜いていないだけだ。

名峰サンタクルスもアルパマヨも、おおっ! という姿には会えなかった。気持ちがついていっていないからだろうか。いや、もしかするとこのサンタクルス谷から見える山々はこれくらいの迫力なのかもしれない。私たちは裏側から、たっぷりひとり占めしてきてしまっているのだ。

「こっち側からのサンタクルスやアルパマヨはショボイなー」そう感じる自分たちにやましさは無い。たとえ私たちが、見るべき場所できちんと見ることができていなかったとしても、自分の見たかった場所から心に描いたアルパマヨをしっかりこの目で見てきているからだ。自分の景色を私たちは知っている。

そこまで割り切っているから早いものだ。私たちは谷の出口であるカシャパンパCashapampaまで黙々と歩いた。U字谷のあとに続くV字谷に入る。この谷を出れば、カシャパンパ。無事にケガも無く、私たちは歩ききることができたのだ。


■まとめに入る

そんなわけで、私たちは重い高度障害にもかからず、ケガもせず、とにかく無事に11日間のトレッキングを終えることができた。

いつもならウジウジ心配しながらも、意外に楽観的な私だ。だが今回ばかりは、自分の設定したチェックポイントで冷静に状況を判断しながら進んでいった。チェックポイントを通過するまではアルパマヨ・サーキットを歩ききれると心から思っていなかったし、やっと完歩できるなと確信したのは、なんと9日目の夜だった。

朝と夜の寒さは、私たちの装備ではギリギリの限界だった。持っている服をすべて着込み寝袋に潜り込む。夜中、寒さで目が覚める。朝は、朝食のオートミールがあっという間に冷めてしまう。スプーンについたミルクも凍る。

後半は錯綜するトレイルに翻弄された。生活道路としてのトレイルの特徴を理解できていなかったからだ。今回歩行距離がわかっていないが、1日の距離も相当長かったと思う。キャンプ地に着くのはいつも日没ギリギリだった。慌ててテントを張り、夕食は月明かりの下でもくもくと冷めないうちに慌てて食べた。

歩いている途中は考えないようにしていたが、今までのトレッキングの中でも群を抜いて厳しいトレッキングだったと思う。

「いやー、このトレッキングは俺たちの南米集大成やなー」

ゴキゲンな淳ちゃんがまとめてくれる。

確かに私たちにとって集大成のトレッキングになったと思う。パタゴニアで積み上げたいろいろなスキルにしてもそうだし、ここ数ヶ月で体験した高地での経験も活きている。それに何とかスペイン語で情報を聞き、ここまで歩くことができた。これが集大成でなくて何と言おう。

歩くのが好きという気持ちを純粋に昇華させたいと思って南米にやってきて、半年以上が過ぎた。しんどいこと、こわいこと、不安なこと……いっぱいいっぱい越えてきた。越えられなかったものもあった。

でも歩ききった事実だけは、いま確実に自分のものだ。自分にどうプラスになったかとか、どういうふうに役にたったかなんてものは、この先あとからわかるものだろう。それでいい。


次はアフリカ大陸だ。たくさん歩いた南米とは、またちょっと違うことになるだろう。
楽しみだ。単純に、ただただ楽しみだ。







     ▼ボリビア、ペルーで利用したバス・ホテル・キャンプサイト
      も「旅の情報」コーナーにアップしてあります。

        泊まった宿
        http://www.chiq1.com/c/c2_1/0003/index.html

        移動手段
        http://www.chiq1.com/c/c2_2/0003/index.html

        国境を越える
        http://www.chiq1.com/c/c2_3/0003/index.html






ブランカ山群 トレッキング カラカラ峠
ここからは毎日が峠越え。まずは6日目のひとつ目カラカラ峠です。標高4,830メートル。真ん中にぽつんといるのが淳ちゃん。こう見ると真ん中のへこんでいるところが峠のようですが、ここの場合その右の平らな場所が峠でした。

アルパマヨ ブランカ山群 トレッキング
カラカラ峠の手前。アルパマヨは雲に隠れ始めました。

サンタクルス ブランカ山群
同じくカラカラ峠の手前にて。サンタクルスとサンタクルス・チコの姿が見えます。4日目のキャンプ地も見えるんですがわかりますか?モレーンを右手に上がったU字谷、サンタクルスのふもとです。

ブランカ山群 トレッキング カラカラ峠
カラカラ峠にて。峠のむこう、ひょいと向こう側をのぞくと新しい景色が目の前に展開されます。この谷の底まで下りて、右手の峠をもう一回越えます。

ブランカ山群 トレッキング
その谷の底へ下りたところ。これが意外に長かった!

タヤパンパ谷Quebrada Tayapampa プカヒルカ
6日目、ふたつ目の峠をギリギリ越えたところ。淳ちゃんの顔、まだむくんでいますね。。。眼下にはこれから向かうウィルカのあるタヤパンパ谷Quebrada Tayapampaが見えています。背後の氷河はプカヒルカの氷河。

キャンプ アルパカ
6日目のキャンプ地ウィルカでの朝。物音で外に出るとアルパカが川を渡っていました。

トレッキング ウィルカ
ウィルカに住むエベレスとその弟妹たち。彼らの食料である子豚を見せてもらいました。かわいい〜。

トレッキング ブランカ山群
エベレスたち。干されてるのはトウモロコシ。同じ木に死んだばかりの羊の毛皮(顔つき)も干してあってちょっとびっくり。

トレッキング アンデス
7日目の峠。三角に尖った山のすぐ右が峠です。え?これ越えるの?てな感じですよね。

トレッキング ブランカ山群
7日目の峠Paso Yanaconから、ウィルカ方向の谷Quebrada YantaQuenuaをふり返ったところ。

トレッキング Paso Yanacon プカヒルカの氷河
Paso Yanaconからはプカヒルカの氷河を間近に見ることができます。

トレッキング ブンランカ山群 アルパマヨ
そしてPaso Yanaconから一気に標高を下げるところ。先に見えるのがサクタイコーチャ湖Lago Sactaycocha。7日目のキャンプ地ハンカ・パンパまではまだまだ遠いです。

トレッキング ブンランカ山群 プカヒルカ・セントラルの氷河
7日目に泊まったハンカ・パンパ。右手の斜面すぐ下にテントを張りました。プカヒルカ・セントラルの氷河がどどどどーんと、たたずんでいます。このトレイル中一番好きだったパンパ。

トレッキング ブンランカ山群 パンパ
パンパの中心部は半湿地帯になっています。それでもかまわないのが馬や羊、豚たち。

トレッキング ブンランカ山群 ハンカ・パンパ
集落を過ぎハンカ・パンパを見下ろす場所まで来たところ。このあと右手に広がる谷へ入らなければいけないはずなのですが、ちょっと迷ってしまいました。

トレッキング ブンランカ山群 タウリラフの氷河
8日目の峠Paso Tupatupaにて。若い牧民の女の子3人とひとりのオットコマエが集団デートをしていました。お嫁さんでも選んでいるのかな〜?牧歌的てな言葉が似合ういい風景でした。背景に広がるのはタウリラフの氷河。

トレッキング ブンランカ山群
9日目、何とか川を飛び越えたあと。こんな風にたまーに牧民の人たちの質素な家が現れます。

トレッキング ブンランカ山群
9日目の峠Alto de Pucarajuがやっと遠くに見えたところ。この岩壁の向こう側に越えると、トレッカーに人気のコース、サンタクルス谷ルートに入るわけです。ここで標高4,200メートル弱。牛はどんな場所にもいます。

トレッキング ブンランカ山群
Alto de Pucarajuへ途中まで登ってきたところで、来た方角をバックに。右にカーブしているそのもっと向こうから歩いてきました。ここも長かったなあー。峠までもあと少し!

トレッキング ブンランカ山群 アルトデの峠
そして峠で見た景色。正面に見えるのはおそらく双子峰のチャクラフ山です。

トレッキング ブンランカ山群 プンタ・ウニオン
10日目、最後の峠プンタ・ウニオン手前のキャンプ地での朝。テントが凍っているのわかりますか?

トレッキング ブンランカ山群 プンタ・ウニオン タウリラフ山
いよいよ最後の峠プンタ・ウニオンを越えます。壁のように立ちはだかっている岩のほぼ中央部分に人ひとり分だけ通れる裂け目があります。右にそびえるのがタウリラフ山。

トレッキング ブンランカ山群
最後の峠を越えるまであと少し。背後には(おそらく)名峰の数々。

トレッキング ブンランカ山群 アルパマヨ
わーい!ついに最後の峠を越えました!!天気も申し分なし!遠くにアルパマヨの姿もあります。

トレッキング ブンランカ山群 アルパマヨ
嬉しすぎて我を忘れた1枚。しんどかったもんなー。

トレッキング ブンランカ山群 アルパマヨ
10時を過ぎて雲が増えてきました。ひいひい言いながら峠を登ってくるトレッカーとすれ違いながら下山中。

トレッキング ブンランカ山群 アルパマヨ
下山中見下ろしたサンタクルス谷。典型的な美しいU字谷が続いています。




▼PART43 2005.08.30 アフリカゾウの楽園へ 〜南アフリカ アド・エレファント国立公園
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