World Odyssey 地球一周旅行

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旅の日記
見たもの、乗ったもの、食べたもの…たくさんの驚きを写真と一緒にお伝えします。



▼PART1 2004.06.07 ヘトヘトで降り立ったバンクーバー
>>旅の始まり



2004年6月7日、私たち夫婦は名古屋空港からバンクーバーに飛んだ。約1年かけて地球を一周する旅が始まったのだ。

「どうして?いつから? 地球一周の旅をしようと思ったの?」
旅の話をすると、必ずと言っていいほど聞かれるセリフだ。
まずはそんな話から始めようと思う。

私たち夫婦は結婚してもうすぐ3年になる。
結婚した頃から2人で、地球を一周する長期間の旅行ができればいいねぇと話していた。そして夫・淳二は旅先でのコミュニケーションが増えるようにと「英語習得」担当、妻の私は幸運にも結婚前に大阪でしていた仕事を続けることができたので「旅行貯金」担当と、半ば冗談で目標を設定したりもしていた。

いよいよ本気になったのは約1年前だ。
というのも子供が欲しくなってしまったのだ。夫の兄姉、いとこたち、そして夫・淳二や私の友人たち…。この3年で私たち夫婦の周りは赤ちゃんだらけになってしまった。最初は全く興味のなかった私たちだが、彼らのベイビーと触れ合ううちに自分たちの子供を作ること、ファミリーを作ることに少しずつ実感を持てるようになってきていた。「地球を一周してきた親になりたいね。」「それなら、旅に出よう!」「夢を叶えよう!」「あと1年で出発しよう!」
そうして、約1年後の2004年6月、地球一周の旅に出ることにしたのだ。

まずは英語とお金を何とかしなくてはいけない。
新婚当初半ば冗談で設定していた目標だが、具体的な目標値を定め、そのために日々を過ごすことにする。夫・淳二はヒアリング中心の自宅学習から、英語圏の人々とコミュニケーションを取るため外へ出かけるようになった。妻の私はというと、バーゲンに行かないとか、旅行を控えるとか、今までで貯めた旅行資金を減らさずさらにハイペースで上積みするためちょっとしたガマンをプラスし、あとは働きまくることにする。

本格的に旅の準備を進めたのは2004年に入ってからだ。
まずはそれぞれの家族に旅に出ることを伝えないといけない。
夫・淳二の両親、私の両親、兄姉、祖母、親戚…。「いい歳をして何言ってるんだ」と怒られるのは当然覚悟の上。近い間柄だからこそ、手放しに応援するだけでなく、心配な気持ちが上回ってしまうことも当然理解しなければいけないことだ。それでも旅に出たい気持ちを心から伝えることで、私たち夫婦のワガママを何とかわかってもらえたら、と願っていたのだ。

家族へ旅に出ることを伝えた後、2月に入ると旅で必要になるグッズの購入を始めた。真っ先に購入したのはノートパソコンだ。Macをメインに使ってきたので、早いうちにWindowsXPに慣れておいた方がいいと思ったからだ。周辺機器やデジカメもこの時点で購入している(デジカメについては後日改めて)。標高の高いところなど寒さ対策の衣類も冬の間に購入しておいた(詳しくは 持ち物の話 でどうぞ)。ギア購入の際には夫婦ともども、しばらく押さえていた買い物好きの血がワサワサと騒いだのは言うまでもない。

銀行口座の開設もこの時期に行った。ポイントは海外からキャッシュカードで現金が引き出せること。CityBankと新生銀行なら口座開設料も海外での引き出し手数料も全て無料だ。CityBankは口座管理の最低残高設定がちょうど高額に値上がりされてしまったので、私たちは新生銀行に口座を2つ開設することにした。新生銀行は国内でのATM引き出しも振り込み手数料も全て無料だったので、旅の準備で発生した様々な支払いにも大いに役に立つことになる。アメリカドルのT/C(トラベラーズチェック)やアメリカドルの現金も持っていくことにした。
円から交換する目安のレートは1ドル=105円。少し安く設定しすぎたのでこのレートは準備期間中1回しか訪れなかった。

GWは、友人(コアラちゃん:SpecialThanksのページ を見てみてくださいね)と淳二の3人でツーリングに出かけた。GWを過ぎると出発までいよいよ1ヶ月を切るので、事務的な手続きも含めて最後の準備にかからないといけない時期に入る。淳二の仕事は出発ギリギリまで、私も5月の中旬まで仕事を引っ張ったため、 4月は予防接種を受けることくらいしか準備が進んでいなかった。

1年も日本を留守にするというのは、結構面倒くさいものだ。
住んでいた家の中身は全て保管状態にパッキングしなくてはいけない。
例えば引っ越しなら、次の場所へ移せばいいだけだが、今回は家中のあらゆるものをキレイに洗い直し、虫が付かないように梱包する必要がある。掛けていた保険は解約や中断の手続きをし、住民票は抜いて宙ぶらりんの状態にしてしまう。使いかけの醤油やマヨネーズも使い切らないといけない。何もかも日本での生活を「一旦停止」にしていかないといけないのだ。おまけに、帰ってきたら価値観が変わっちゃてるんだろうなぁなどと思うと、何でもかんでも必要無いものに思えてきたりするからまたやっかいだ。

予防注射の副作用でフラフラしながら最後の1週間をそんな片づけに追われ、出発前、最後の週末を迎えることになる。当然、家族と夕食を楽しんだりしてゆっくり過ごすものだろう。
ところが淳二には、最後の予定が入っていた。
アメリカ人の友人、ジェームスと一緒に鈴鹿山脈の鎌ヶ岳に登る約束をしていたのだ。1ヶ月前から聞いていたとはいえ、最後の1週間でさえ次々に友人と会う予定を入れていく夫を前に、まさかもう出かけないよな…とタカを括っていた私の方が間違っていた。

気持ちよく晴れた6月5日の朝、地球一周旅行に出かける荷物の中から不要なものを抜き出して、彼は鎌ヶ岳に出かけてしまった。

その日の午後の天気予報は、天気が急変し夜には雨が降り出すと言っていた。淳二は山頂でテントを張っているはずだ。邪魔はしたくないなぁ…と思いつつメールをしてみると意外にも繋がる。いたってノンキな返事が返ってきた。雨が降れば、地球一周のために用意した荷物も全て濡れてしまう。何より下山も危険だ。それでもお構いなしに、淳二は日曜の朝下山してくるのだろう。

平地でも雨がしとしと降る日曜の9時、淳二から無事下山のメールが入った。もちろん夜半過ぎに雨に降られ、荷物から何から全身ずぶ濡れだそうだ。そこから出発まで過ごす私の実家までは約1時間。帰ってきたら翌日の出発に間に合わせるため、全ての荷物を乾かさないといけない。
それでも、風邪を引いていないか心配になってしまう。

約30分たった頃、淳二から驚いた声で電話が入る。家(今まで夫婦で住んでいた家)に寄ってシャワーを浴びようとしたら家の中が空っぽで何もできないのだという。当たり前だ。家の中を空っぽにして出てきたのだからシャワーなんて浴びられるわけがない。ガスだって止めてしまったのだ。心からノンキきな夫・淳二に感心しつつ、旅の行く末を少し案じたりもする。

私たち夫婦の性格はほぼ正反対だ。石橋を叩いてそれでも不安で渡らない妻に対して、直感で渡る夫。前準備が大好きな妻に、ハプニングを楽しむ夫。今回の鎌ヶ岳行きにしても私なら1週間前ですら予定を入れることなど考えられない。しかも登山だ。半ば呆れつつそれでも、自分では到底考えの及ばない淳二の行動に羨ましさを感じてしまうのだから、これから始まる旅だってきっと思いもつかない出来事にたくさん遭遇できるのだろう。そんな楽天的なところは不思議と2人そっくりだったりするのだ。

淳二が帰ってきてからは、私の両親を含めて大騒ぎとなってしまった。
ダウンのシュラフ(寝袋)やジャケット、着替えのインナーなど旅に持っていく全てのグッズがずぶ濡れなのだ。父は淳二と一緒にダウンも乾かせる近くのコインランドリーへ向かい、母は淳二の濡れた服を洗濯しアイロンをかけてくれる。言わんこっちゃない、と毒づく私を横目に父も母もどことなく嬉しそうだ。出かける間際まで面倒をかけてしまって申し訳ない気持ちと相まって複雑な気持ちになってしまう。

こうして焼き肉店での夕食を最後に、次の日私たちは名古屋空港に向かった。空港では2人の甥っ子たちが見送りに来てくれている。彼らと涙のお別れをし、いよいよバンクーバー行きエアカナダへの搭乗時刻を迎えた。

甥っ子たちが手を振る名古屋空港が見えなくなった頃、淋しさと同時に、やっと終わったねー!と安堵のため息が2人同時に出てくる。「終わった」というのは「旅立つための準備」のことだ。実のところ私たちは、旅に出てからのことはほとんど準備をしていない。むしろそこまで気持ちが回らなかったという方が正しい。もう2度と地球一周旅行の準備はしたくないなぁ、などと冗談を言ってしまうほど、あんなに前から準備をしていたにもかかわらず、出発前はバタバタしてしまったのだ。

そうしてクタクタに疲れ果てたままの2人は、私の大学時代の友人・みゆきちゃんが住むバンクーバーに降り立った。
 
かわいい甥っ子
目に入れても痛くないほどかわいい
甥っ子といとこ送別会でのヒトコマ

 
上高地
2月に出かけた上高地は高冷地用
ウエア購入のいいきっかけになった

 
ツーリング 長野
GWツーリングでは
出発日に愛知・岐阜・長野県境で
私のバイクが死亡する

ツーリング 長野
それでも何とか気持ちのよいキャンプ場を見つけて一泊してみた

ツーリング 長野
翌日、再び同じ場所へ壊れたバイクを取りに帰り無事戻ってきたところ

 
ビヨビヨ
淳二のビヨビヨになってしまった書類を
アイロンがけする母

バラバラ
バラバラになってしまった使用説明書などを乾かす淳二

名古屋空港
いよいよ名古屋空港へ向かう前。あまりの荷物の大きさに自信を失う

名古屋空港
甥っ子たちとお別れした後。淳二は ほとんど涙目になっている




▼PART2 2004.06.15 4人の山男と長い夜 〜白夜の国アラスカ
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