World Odyssey 地球一周旅行

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旅の日記
見たもの、乗ったもの、食べたもの…たくさんの驚きを写真と一緒にお伝えします。



▼PART51 2006.04.09 ナムチェまで5日!そして雪
>>ネパール サガルマータ国立公園その1



■最後のトレッキングにむけて

いよいよ最後のトレッキングになった。向かうのはサガルマータ国立公園。

サガルマータとは、世界最高峰エベレスト山のネパール語での呼び名だ。宇宙の頭とか、大空の頭とかそんな意味があるらしい。チョモランマという呼び名を聞いたことのある方も多いと思うが、これはチベット語で、神々の母という意味があるそうだ。中国語では珠穆朗瑪という漢字をあてられているらしい。エベレストという名は、イギリス領だったインドの測量官ジョージ・エベレストが、1941年に初めてこの山の位置と標高を記録したことにちなんで付けられている。本来なら現地での呼び方を尊重するべきなのだろうが、現地でほとんどサガルマータやチョモランマの名を聞かなかったので、ここでもこれ以降エベレストと表記していくことにする。

そう、これがこの旅最後のトレッキングだ。1月の中旬ころ、この地を旅の締めくくりにしようと決めた。腸チフスが治って、もう一度歩けるかも……、と本気で思い始めた時だった。病気の間、自分の体力に自信が持てなくなって、別の旅行地を考えたこともあった。だが治りかけてみると、やはり体力の回復を待ってネパール・ヒマラヤだけは歩ききろう、と思い直した。世界最高峰エベレストのふもと、そしてネパール最大の氷河が横たわる、このサガルマータ国立公園だけは、どうしてもあきらめることができない。この地を歩ききることを唯一、最大の目的にしよう。私たちはそう話し合っていた。

そしてとうとうその時がやってきた。このトレッキングだけは、何としても成功させたい……、今まで考えたこともない欲が生まれる。

これまでの私たちのトレッキングは本当に幸運続きだった。天気にも状況にも恵まれていたおかげで、ほとんどのトレイルを歩ききることができていたし、気持ちよくトレッキングを終わらせられていた。でもそれらは、最初からイメージできていたことではない。スタートする時はいつも、歩ききれるかな、行けるところまで行ったらいいよな……、そんな不安な気持ちの方が大きかったような気がする。だが今回は違う。目指す3つのポイントに必ずすべて到達して、笑顔で終わりたい。明確にできあがっている最高のイメージをどうしても崩したくない。これは、単に私が欲張りになっただけだ。今までのラッキーに甘えて、次もそうあってほしいと願っているだけだ。そうはわかっているものの、この最後のトレッキングを何としても笑顔で終わらせたい。

とまあ、だだっ子のようなことを言っているのも、今回のトレッキングが、私たちにとってはなかなかハードルの高いものだからだ。



■今回もやっぱりハード

私たちが歩こうとしているルートは、通常2コースに分けられているものを合わせたものだ。ひとつは世界最高峰エベレストを間近で見られる展望地カラ・パタールKala Pattarと、エベレスト登山の基点となるエベレスト・ベースキャンプEverest Base Camp(EBC)へ向かうコース。もうひとつは、エベレストを始めとするクーンブ山域の山々とネパールで最大のンゴズンパ氷河Ngozumpa Glacierを見渡す展望地ゴーキョ・リGokyo Riへ向かうコースである。

【詳しいルートの地図はこちら】
⇒ http://www.chiq1.com/a/map6.html

例えば日本からのツアーでは、どちらか一方だけ歩くことが多い。欧米からのツアー客も圧倒的にカラ・パタールだけを目指すコースが多い。一番ネックになっているのは、日程の長さだろう。カラ・パタールへは、少なく見積もってもカトマンドゥから往復で11日はかかる。カラ・パタールにベースキャンプ、おまけにゴーキョまで行こうとすると、本当に急ぎ足で最低15日はかかる。日本からのツアーであれば、加えてカトマンドゥまでの往復の日数も必要になるから、ツアーとしては1ヶ月弱のものになってしまう。そんなツアー、日本では売れないだろう。

そんなわけで本当にヒマラヤが好きな人は(特に日本人の年輩の方に多い)、カラパタール、ゴーキョ、ランタン谷、アンナプルナ……と、ネパールを何度も訪れているようだ。だが、私たちの状況はむしろ逆と言っていい。この旅行を終えて日本に帰ったら、次はいつヒマラヤに来ることができるだろう。ずいぶん先のような気がする。でも今なら、ヒマラヤ・トレッキングにたっぷり時間をかけることができる。1ヶ月まるまる山に入ることだって可能だ。カラ・パタール、ベースキャンプ、ゴーキョ、全て行かなくてはもったいない。

バックパッカーの中にはそんな人が多い。時間だけはたっぷりあるし、多くの旅行者はチベット旅行を経てカトマンドゥに入ってきている。高度馴化もバッチリできているのだ。それにこのトレイルは世界的に有名なトレイルなので、難しい道があるわけでもない。スニーカーで歩いてきました、という人もいるくらいなのだ。だから、このコース選定は大して珍しいことではなかった。

ではいったい何が大変なのか。まず第一に、高度である。カラ・パタールでは5,550メートルもの標高になる。ベースキャンプで5,364メートル、ゴーキョ・リで5,360メートル。私たちが出かけた最高標高は、ペルーのパストゥルリ氷河で5,000メートルちょっとだった記憶がある。5,500メートルというのはもちろん初体験だ。ケニア山でも5,000メートル弱まで上がっていたが、今回はちょっとわけが違う。カラ・パタールやベースキャンプに行くためには、ゴラク・シェプGorak Shepという集落に泊まらなければいけない(カラ・パタールだけならその手前ロブチェLobuche4,910メートルからでも可能なのだが)。ゴラク・シェプの標高は5,140メートル。1日で通過するのと、ひと晩を過ごすのではしんどさに大きな違いがある。ちなみに私たちが宿泊したこれまでの最高地点は、ペルーのブランカ山群で4,600メートルである。

ご存じの通り淳ちゃんは極端に高所に弱い。ブランカ山群では連日頭痛に苦しめられ、顔はパンパンにむくんでいた。ケニア山でも頭痛に苦しんだ。先日訪れたランタン谷のキャンジン・ゴンパ(3,870メートル)でも頭痛に見舞われたようだ。すべて、高山病とまではいかないが軽度の高度障害というやつだろう。これらの障害を最小限にするためには、できるだけゆっくり登って高度馴化しながら登っていく他に方法はない。高度障害は誰もがかかってしまう代わりに、ゆっくり高度順応していけばほとんどの人がクリアできるものでもあるのだ。

そうして第二のハードルが生まれる。日程の長さである。ただでさえ半月ほどかかってしまう行程なのだが、ゆっくりゆっくり高度馴化しながら登っていくために、それ以上の日にちが必要になってきてしまう。私たちが計算した最初の予定では、全行程22日間。日程が長くなると、体調の維持がより困難になってくる。気合いだけで乗り切るには、22日というのはあまりにも長すぎるのだ。当初、飛行場のあるルクラLuklaからではなく、ジリJiliという場所(飛行場がなかった時代の古いトレイル。カトマンドゥからバスで1日かけて向かう)から歩こうかとも考えていたのだが、ジリ→ルクラ間でさらに1週間必要になるので、このプランは却下することにした。ジリから歩いて、肝心な場所で体調を崩しては元も子もないからだ。日程の長さと体調の維持は、それほど私たちにとって重要なことだった。


■ジッと耐えて歩くこと

おそろしく高い標高と、これまでにない長期間での山歩き。標高に関しては、とにかくゆっくりゆっくり登ることにした。日程は確かに長いが、ここサガルマータ国立公園でも数時間おきに山小屋があるので、食料や燃料、テントは持ち歩かなくていい。山小屋で食事を食べられるので、栄養の偏りも少しは防げるだろう。

結局このトレッキングで自分にとって一番ネックになるのは、忍耐力なのかもしれないと思うようになってきた。高度馴化のために、1日に進める距離は短いだろう。それでもジッとこらえてゆっくり進まなくてはいけない。もし、それでもどちらかが高度馴化しきっていないと感じたら、登って来た道を1日分下らなくてはいけない。そうしてまた、高度馴化をやり直すのだ。もしかすると4,000メートルを超えたあたりから、毎日そんなことの繰り返しかもしれない。それでもこれが、目標とする地へ一番の近道になるのだ。あきらめずに繰り返せばきっとたどり着けるだろう。そのための時間はたっぷりある。

もうひとつ、忍耐が必要だなと思っていることがあった。今までのトレッキングではなかかなできなかったことなのだが、今回はジッとこらえようと思っていた。それは目標達成したあとのことだ。メインとなる目的地の他に、余裕があったら行こう、とトレッキング前に考えている場所がいつもある。だが、メインの目的地を達成してしまったあとというのは、どうもいけない。早くトレッキングを終わらせてしまいたくて、すぐ下山モードに入ってしまうのだ。自分でそれを認識する前に、気が萎えてしまうことも多い。だがこれは、自分がモチベーションの最高地点の設定を間違えているだけに過ぎない。トレッキング終了まで最高レベルを維持できていれば、もっとたくさんの素晴らしい景色に出会えるはずなのだ。今回はそんな過去の反省から、カラ・パタールに行ったあと、ベースキャンプに行ったあと、ゴーキョ・リに行ったあと、すぐに下界のあれこれに思いを馳せて煩悩にひたることなく、その場にある景色を限界まで味わい尽くして帰りたいものだ、と心に誓っていた。そのためには、苦手なことだがジッと忍耐、これが必要なのだと思っていた。



■出発初日の不調

そしていよいよ3月6日、出発の日がやってきた。スタート地点ルクラまで、カトマンドゥから小型飛行機で約30分。有視界飛行なので欠航することが多いという路線だが、40分ほどの遅れで無事出発する。遠くにランタンの山々を眺めながらの飛行となった。

ふいに飛行機が左に進路を変える。狭い谷に入っていったと思いきや、次は右に進路を変えた。そして慌ただしく降下、着陸……。噂以上のスリリングなフライトのせいで、なかば放心状態でルクラに降り立つ。まだ朝日は山から顔を出していない。思った以上に寒いので、一気に体が固まってしまった。

煙の上がっている茶店を探して、お茶をもらう。かまどの前に席を空けてもらい冷えた手をかざす。数日前から体調がイマイチだったのだが、今日も良くなっていないようだった。

やっと太陽が現れたところで、歩き始めることにする。8時30分。石畳の町を抜けチェックポイントのゲートをくぐると、赤茶けた道が狭い谷の奥に続いているのが見えた。この一帯クーンブ地方の中心地であるナムチェNamche(3,440メートル)までは2日の行程。目の前に広がるのどかな農村風景からはまだ、ナムチェの賑わいも、その先氷河が横たわる光景も想像することができない。

ドゥードゥー・コシDudh Koshi(ミルク色をした川という意味)沿いに延びるトレイルをしばらく進むと、前から見たことのある人影がやってきた。サトちゃんだ。彼とはポカラから仲良くしてもらっていて、先日も私たちよりひと足先にエベレスト周辺へトレッキングに出かける、というメールを彼から受け取っていた。「めっっっちゃ、良かったですよ!」しばらく山に入っていた人特有のイイ顔をして彼は言う。こんな顔で、とにかく良かった!という感想を第一声に言うくらいなんだから、よっぽど素晴らしかったのだろう。20日後、私たちもこんな顔をして、こんなセリフを言うことができるのだろうか。あまりにも先のこと過ぎて、イメージがわかない。しばらくトレイル上で立ち話をしたあと、彼と別れる。そのあとすれ違うトレッカーもまばらだ。

それにしても、体に力が入らない。喉が痛いので風邪気味なのだろうが、体全体に力が入らず、歩いていても心底楽しめていない気がする。

昼食はガートGhatという場所でとることにした。トレッキング中によくオーダーする、ヌードル・スープ(インスタント・ラーメン)を頼もうと思ったがまったく食欲がないことに気づく。甘いミルクティでも飲んで、朝食べられなかったパンを少しだけつまむ。

1時間ほど休んだが、やはり体に力は入らなかった。今日はここで泊まることにしよう。今日進めなかった分は、明日じゅうぶん挽回できる。数時間おきに山小屋がある気楽さはこういう時に発揮する。しんどかったら、無理しなくても泊まる場所はたくさんあるのだ。出だしからつまずいて気分が悪いが、今日は休むことにした。

午後は案内された部屋で時を過ごす。本を読んだり、日記をつけたり、昼寝をしたり。夕食は定番食ダル・バートを食べる。明日には元気になっているだろう、と思っていた。

22時ごろだろうか。急に腹痛を感じて、建物の外にあるトイレに向かった。この宿に泊まっているチベット密教の若いお坊さんたちは、まだ起きているようだ。宿の娘さんたちと楽しく話す声が、トイレの中からも聞こえる。私のお腹は、思いきり下痢だった。実はこの旅行で私は、ひどい下痢になったことがない。腸チフスも下痢だと思われがちだが、あれは極度の便秘の方がよくある症状で私もその例にもれずひどい便秘に苦しめられた。そんなわけで、この旅行始まって以来のひどい下痢に数時間おきに襲われ、朝になる頃にはもうすっかりヒヨヒヨの状態になってしまっていた。朝、淳ちゃんがもらってきてくれたミルクティで何とかひと息ついたが、とてもとても歩けるような状態ではない。

トレッキング中の下痢は、ある程度予想していたことではあった。自分で食事を用意するわけではないし、山の中と言っても人が住んでいる場所ばかりだ。いつ下痢になるとも限らない。細菌やアメーバが原因ということもある。今回のトレッキングでは、そのために下痢止めや下痢用の抗生物質なども多めに持ってきていた。それでも下痢ひとつで、こんなにも歩けなくなってしまうとは予想外だ。とにかく落ち着くまではベッドで横になることにした。数時間おきにトイレに行っていたせいで寝不足でもある。うとうとと眠ってしまったようだった。

昼前に淳ちゃんに起こされる。が、やはり歩けそうもない。だが、この宿でもう一泊するのもちょっとつらかった。この宿は隣にチベット密教のゴンパ(僧院)がある。その関係か、宿には若いお坊さんが6人ほど寝泊まりしているようだった。お坊さんだから害はないかというと大違いで、彼らは時間かまわずトゥンチェン(儀式に使う長いホルン。アボリジニのディジュリドゥのような音がする)を吹き鳴らし、就寝前にはラジオを大音量でかける。それ以前に、この辺りの人はとにかく声が大きいのだ。とても安眠できる環境ではなかった。

同じガートの集落内の別の宿に移るため、荷物をまとめる。昼前なのでもう外は暖かいのだが、何だか寒気もしてくるし、とにかくフラフラになりながらゆっくりできそうな宿を探して歩いた。結局ガートではいい宿が見つからず、もう少し坂を上がってルクラ側に戻ったタド・コシThado Koshiという集落の小さな宿に落ち着く。午後はふたたび部屋のベッドでジッとする。淳ちゃんは向かいのベッドで静かに本を読んでいる。

それでも食べなくては、と夕食はダル・バートを頼む。今日はお母さんが外出するとかで、15歳くらいの娘さんが一生懸命作ってくれた。ダル(レンズマメのスープ)はショウガをたっぷり使った、ちょっと変わったものだった。

お腹の調子は朝からずっと落ち着きを見せている。もうひと晩眠ればさすがに大丈夫だろうと、この日も早めに床に着く。この宿には電気が通っていないので、7時過ぎには真っ暗になった。留守番の娘さんは、かろうじて受信できるラジオの音楽を一生懸命聞いているようだった。



■3日目、復活

3日目の朝。まあまあ気分良く目が覚める。今日は歩けそうだった。決して100%ではないけれど、ここでさらに1日停滞しても何も変わらない気がした。今日中にナムチェ手前の難所、高度差600メートルの急坂は登れそうになかったが、その手前まで歩いてみようということになる。それにナムチェまで上がってしまえば、そこはすでに高地。体調不良もなかなか改善されないはずなので、ここでナムチェに上がるのは危険でもあった。

8時30分出発。昨日発ったガートの集落を過ぎしばらく岩がちなトレイルを進む。1日目の宿泊地として多くの人が利用するパクディンPhakdingを越え、大きな吊り橋を渡る。この辺りから、ずいぶん立派な山が視界に入り出した。タムセルク山Thamserku(6,608メートル)だ。同時に、ナムチェから下りてきたのだろうか、多くのトレッカーとすれ違うようになる。タムセルクに大騒ぎしている私たちだが、下山するトレッカーは見向きもしない。「そんな山、このあとなんぼでも見られるよ」ってところだろう。イイ顔をしたトレッカーとは挨拶ついでに話が盛り上がる。

「どこまで行ってきたの?」「カラ・パタールへ行ってきたわよ!」その満足げなこと。彼らは決まって「I made it!(私、やったわ!)」という表現を使う。そうか。彼らにとってもただ目的地に行ってきたわけではなくて、カラ・パタールともなれば、困難を乗り越えて達成した!という感じなのだろう。一説によれば、カラ・パタールまでたどり着けるのはトレッカーの3/4のみだという。1/4の人は高山病でリタイヤしてしまうのだ。カラ・パタールまでたどり着いてエベレストを拝んだあかつきには、「I made it!」と言ってもおかしくないのだろう。しつこいようだが、20日後の私たちも同じようなセリフを言うことができているのだろうか。すでに3日目。相変わらず絶好調でない私には、やっぱりイメージができない。

ベンカルBenkarで昼食を取ったあたりから、どどっと疲れが出てきた。国立公園のチェックポストを過ぎたジョルサレJorsaleまで行こうと思っていたが、手前のモンジョMonjoで宿をとることにする。14時前だった。青かった空は、いつの間にかまっ白な雲に覆われていた。

夕食はこの日もダル・バート。全て火は通してあるし、ごはんに豆に野菜といういかにも体に良さそうなメニューだから、これが一番だと思っていた。


■再び不調

ところが翌朝、またもや下痢が始まったのだ。昨日は一時小康状態を見せていたのだが、何が悪かったのか。この一帯の山小屋はそんなに不衛生なのか。そうも思えない。現に淳ちゃんはピンピンしている。とにかくふたたび動けなくなってしまった私は、またもや宿で横になってしまった。

しばらく休むとお腹も落ち着いてきたようだった。いちいち下痢に振り回されるのもうんざりだった。今日は歩いてしまおう。そう思って、モンジョをあとにした。今日はナムチェ入りということになる。

モンジョを出ると、国立公園のチェックポストがある。カトマンドゥで取っておいた入域証を見せて、ノートに名前を記す。この先は、大きなマニ石の脇を通ってドゥードゥー・コシの河原まで下りる。2つ吊り橋を渡ってもう一度崖を登り3つ目の吊り橋を渡ると、ナムチェへの急坂が始まる。だが、モンジョから約1時間。河原を歩いていたのだが、どうしても足が前に進まない。ちょっと頑張ってナムチェへ上がり、そこでまた休憩すればいいと思うのだが、どうしても足が前に進まない。今朝の下痢で気力も体力も一緒に出て行ってしまったかのように、体に力がまったく入らなかった。

戻るべきか……。ぱたと足が止まって、そんなことが頭を回り始めた。最初の吊り橋を渡ったところ、ジョルサレで泊まってもいいのだが、昨日泊まったモンジョの宿が落ち着けることはもうわかっている。ナムチェ行きを断念するなら、モンジョまで戻るのがベストだろう。

だが今日はもう4日目だ。ルクラからナムチェまで2日で行けるところを、すでに4日も費やしている。いつまでも体調が優れずグズグズと。少しくらいの体調不良なら、きれいな空気とシンプルな食事(ダル・バートを食べている限りベジタリアンである)と適度な運動でむしろカトマンドゥにいるより元気になれるんじゃないか、そう考えたのが甘かったのか。だいたい、どうしてこんなに下痢が続くのか。一回治ったと思ったのにどうして再発するのか。腸チフスから元気になったと思ったのは、間違っていたのか……。とにかく、自分が情けなくて情けなくてどうしようもなかった。そこまで情けなく思っているなら、根性でナムチェまで歩けそうなものなのだが、足が前に進まない。余計に、自分が情けなくなる。

そんなことを言っていても仕方がない。後ろでは淳ちゃんが私の決断を待っている。「今日はもうダメです、戻りましょう」そう自分から言うのを待っている。私が自分で言わなくてはいけないのだ。

「ごめん、今日はあかんわ。モンジョに戻るわ……」こう口にした瞬間から、たくさんの悪いイメージが次から次へと湧き出てきた。このまま断念してカトマンドゥに戻る、それでも体調が良くならない、再チャレンジの時間が無くなる、エベレスト周辺のトレッキングはあきらめることに……。うわー!そんなの絶対にいやだ。旅の最後はどうしてもエベレスト周辺を歩いて締めたい。

でも。しかし。もし、本当に私の体調が悪いのなら、これはもうどうしようもない。だが、淳ちゃんはどうだ。私の腸チフスのせいで、ずいぶん待ちぼうけをくらっている。挙げ句の果てに、やっぱり無理でした、ではかわいそうすぎるではないか。これまで旅行中はできるだけ単独行動を避けてきた。せっかく夫婦ふたりで出かけてきているのだ。ふたりで歩いてふたりで思い出を作っていきたい。そう思って、できる限りふたりで何でもやってきたつもりだ。もちろん旅の締めくくりだってふたりで一緒にしたい。だが、そんなこだわりのせいで、淳ちゃんの楽しみを奪っていいものか。あんなに楽しみにしていたのに。幸いこのエベレスト周辺は、ひとりで歩いても大して危なくないトレイルである。明日も調子が悪かったら私はカトマンドゥに戻って、淳ちゃんの帰りを待つしかない、そんな気持ちにいつの間にかなってしまっていた。

「明日もあかんかったら淳ちゃんひとりで歩いて……」最後はもう、涙でじゅるんじゅるんになっている。悔しいのと申し訳ないのとで、正常な判断も冷静な会話もできなくなっていた。さらに自分が情けなくなり涙が止まらない。

「あほか!このトレッキングは最後やねんで。最後やからふたりで歩くの!ちーちゃんがどうしても調子悪いんやったら、一緒にカトマンドゥに戻ったらええ。それで元気になったらまた来たらええ。日本行きの航空券かって、間に合わへんのやったらキャンセルしたらええ。おれひとりで歩くなんて、何言ってるの」

当たり前だが、ど叱られた。淳ちゃんも真剣である。ここまで4日間、何にもない山小屋で調子の悪い私を横に、ひたすら読書で乗り切ってきた。いつものごとく、ひと言も愚痴を言わずに。そしてここに来て私のこの弱気な発言。そりゃあ怒るというものだ。だが、そう励まされたって、あらそうですか、と簡単に気持ちが変わるわけではない。とにかく明日まで様子をみよう、決断は明日の朝だ……と、またもや怒られそうなことが頭の中を回っていたが、今度はもう口には出さない。とにかく神妙に、今来た道を戻っていった。

それにしてもどうしてこんなにお腹の調子が悪いのか。よくよく考えてみる。あの症状……。そう言えば、一度だけあった気がする。ポカラ滞在時。高山病予防にもなると勧められて、ニンニクを凝縮したタブレットを飲み始めた時だった。あの時も同じ症状になって、あの錠剤を飲むのをやめたらすぐにもとに戻っていた。

今回もどうやらニンニクにあたったのかもしれない。母ほどではないが私もニンニクに弱いところがある。体調が悪い時は過剰に反応してしまうのか。これまでの食事を思い返してみる。1日目、ダルにはニンニクの固まりがゴロゴロ入っていた。2日目、留守番の娘さんが作ってくれたダルはショウガベースだった。おそらくニンニクは少ししか入っていなかったのだろう。ところが3日目、あのダルにもニンニクはアホほど入っていた。これなら、同じものを食べていても淳ちゃんが平気で私だけお腹を壊すのも納得だ。そうか、ニンニクかー。きっとそうだ。間違いない。体にいいと思っていたものが、ダメだったというわけだ。何とも情けない結果だが、この仮説をもとに食事をとってみることにする。

「バート(お米)を湯で煮込める?」宿のオーナーに聞いてみる。「ああ、オカユね。作れるよ」拍子抜けするような答えが返ってきた。日本人トレッカーが多く訪れているのだ。オカユを知っていても不思議ではない。私のようにお腹の調子を悪くする人も多いのだろう。その晩は、ネパール米ながらほぼカンペキな白がゆで夕食をすませることができた。

翌朝、下痢は治まっていた。歩けそうな気がする。よし、ナムチェへ上がるぞ!

5日目にして、私たちはやっとナムチェにたどり着いた。もう1日体調が悪かったら、カトマンドゥに帰るところだった。朝食も白がゆで様子を見たが、昼には他のものが食べられそうだった。ナムチェにあるベーカリーで、チョコクロワッサンを食べてみる。少しずつ、体に力がめぐってきた気がした。よし、行ける。この先へ行ける!やっと自信が戻ってきた。夕食のダル・バートは、ニンニク無しで作ってもらった。ニンニク無しだからなのかどうか、お腹は順調だった。もうきっと大丈夫だ。


■次は大雪

翌朝6日目。今度は別の問題が発生した。雪だ。

ナムチェにとって半年ぶりの降雪(雨も含めて)は、昨日ナムチェに着いたあと、15時ごろから始まっていた。それが夜になっても降り止まず、朝になってみても勢いはいっこうに止まらなかった。今日はナムチェで高度馴化のための休息日だったので先へ進めないのは問題ないのだが、予定していた日帰りハイキングや近郊の村へのショート・トレッキングはちょっと無理だ。仕方がないので、宿の布団にくるまって1日、窓の外を眺めて過ごす。私にとってはちょうどいい休息日だ。

7日目。朝窓の外を見ると、雪は止んでいた。村はどこもかしこもまっ白。40センチは積もっただろうか。ここに着いた時とはまったく別の様子に様変わりしている。「雪が止んだらね、もう3月なんだからあっという間に解けるし、問題なく歩けるよ!」宿のオヤジさんの頼もしいひとことで、私たちは慌てて身支度をする。トレイルはたくさんの人が歩くし、ヤク(高地牛)も歩いているから、ラッセル(雪かきをしながら前に進むこと)しなくても大丈夫、ということだった。アイゼン(靴に付ける滑り止め)のない私たちは不安になってレンタル店に相談に行ってみたが、12本ヅメのアイゼンしか置いてなく「これ付けたら恥ずかしいね」と店のおっちゃんに日本語でいなされてしまい、トレッキングシューズで歩くことになった。地元の人が歩けるというのだから大丈夫なのだろう。

8時30分。宿をあとにする。次にここに戻ってくるのは2週間後か……。今の私には気が遠くなりそうに長い時間だ。だが、そんなことを言っている場合ではなかった。道はいきなりツルツルなのだ。雪は一昨日から降っているから、人が多いところではアイスバーンになっていても不思議ではない。が、雪にはまったく不慣れな私たち。予想外の道の状態にいきなり悪戦苦闘である。アイスバーンは村を出るまで続いた。

村を抜けると雪を踏みしめた一本道がつらつらと続く。登りや平坦な場所では、トレッキングシューズだけでも問題なく歩けるのだが、少しでも下りになるとあっという間にバランスを崩して転けてしまう。そもそも私の靴がもうダメなのだ。2年以上も履き続けたせいでソール(底)はツルツル。おまけに十分な手入れができていないせいで、ケニア山のあたりから完全防水機能も失っている。

そんなわけでとにかく時間がかかる。が、ついに眼前にエベレストが姿を現した。と言っても、ヌプツェ山Nuptse(7,861メートル)の後ろにチョロっと頭を出しているだけなのだが、これだけを見に日本からやってくる人もいるくらいの景色である。私たちも、エベレスト初対面ー!と大はしゃぎで写真を撮りまくる。当然、さらに時間がかかってしまう。

ガイドブックでは2時間ちょっとで行けるはずのポイントまで、6時間もかかってしまった。目指す宿泊地タンボチェTengboche(3,860メートル)まで、ここからさらに600メートルの登りがある。

溶けかけた雪に靴をびしょびしょに濡らされながら、タンボチェにたどり着いたのは16時30分だった。1時間ほど前から再び雪も降り始めていた。足の指の感覚はもう無い。

今回のトレッキングは何だかトラブル続きである。グズグズと長引いた体調不良に、季節はずれの大雪。どちらも予想はしていたものの大きな障害にならないだろうと思っていたことだった。だが、どちらもなかなかに大変なトラブルだ。それも続いてやってくる。それもこれも、最後を盛り上げるために神様が仕組んだことなのか。それならば、ありがたく受け止めようと思う。ということはつまり、最後の最後はサイコーの締めくくりになるはずだからだ。良いことと悪いことは同じ数だけやってくる、といつも思っている私は、ついついこんなことを邪推してしまう。神様も試練の与えがいがない、というものだろう。

とにかく今回のトレッキングは、サイコーのフィナーレを迎えるために今は忍耐、忍耐なのだ。歩き始めてすでに7日。ほとんど進んでいない。それでもジッとガマンである。ほとんど進んでいないが、少しは進んでいるのだ。この調子で積み重ねていけば、いつかはカラ・パタールにたどり着けるだろう。雪が降ってもジッとガマンだ。先へ進めなくなるほど降っているわけではない。毎日足が冷たいことと歩きにくいことさえガマンしたらいいのだ。それに雪が降ったおかげで、信じられない絶景が続いている。むしろラッキーだと言いたいくらいだ。すべては素晴らしい最後を迎えるため。今回の私はいつもよりちょっとばかり強いみたいだ。

そんな調子で、8日目も9日目も10日目も11日目も、少しずつ前へ進んだ。標高は4,000メートルを超えていたので、淳ちゃんの高度馴化も慎重に進めていった。数日で解けるだろうとタカをくくっていた雪は、標高がどんどん上がっていったのでまったく解ける気配がなかった。私たちは毎日、雪原の中につけられた一本道を黙々と歩いていった。

私たちを囲む景色は、雪のせいで地上とは思えない世界を作りだしていた。まるで何もかもが氷でできているような険しさを見せる時もあれば、天国にでも来たかと思うようなまばゆさを見せる時もあった。1日、1日と標高を上げていくにつれて、私たちを包む世界の音は少しずつ減っていくようだった。雪を踏みしめる自分の足音と、風の音。その音さえも少しずつ静けさをまとうようだった。

11日目の午後、私たちはついにカラ・パタールのふもとから続くクーンブ氷河Khumbu Glacierの末端にたどり着いた。トゥクラThoklaだ。





▼トレッキング 覚え書き

3/6[1日目] 晴→曇
Khatmandu→Lukla(2,840m) 飛行機移動
Lukla→Ghat

3/7[2日目] 晴→曇
Ghat→Thado Koshi

3/8[3日目] 晴→曇
Thado Koshi→Monjo

3/9[4日目] 晴→曇
Monjo

3/10[5日目] 曇→雪
Monjo→Namche(3,440m)

3/11[6日目] 雪
Namche

3/12[7日目] 晴→雪
Namche→Tengboche(3,860m)

3/13[8日目] 晴→曇→雪
Tengboche→Orsho(4,085m)

3/14[9日目] 晴→曇→雪
Orsho→Dingboche(4,410m)

3/15[10日目] 曇→雪
Dingboche→Chukhung(4,730m)→Dingboche

3/16[11日目] 晴→雪
Dingboche→Thokla(4,620m)






 
ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
カトマンドゥ発ルクラ行きの軽飛行機。乗客定員18名ですが美人客室乗務員も乗っています。荷物は運転席下に押し込められているよう。

 
ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
ドゥードゥー・コシ(ミルク色の川)という名の通り、氷河色した川を渡る吊り橋。ヒマラヤの吊り橋は恐いぞ、とパタゴニアで脅されていたのですが、どの橋もしっかりした作りで安心でした。でも昔のものに比べて長くなっているようでめちゃくちゃ酔います。これはパクディンを越えたところの吊り橋。

 
ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
ついつい盛り上がったタムセルクの山容。堂々としていて美しいです。

 
ネパール トレッキング マニ石
ランタン谷でもありましたが、クーンブ地方のマニ石の中にはこんなデカハデなものも。敬意を表して左側を歩きます。場所によっては歩きにくいところもあってちょっと迷惑だったりも。

 
ネパール トレッキング サガルマータ国立公園 ナムチェ
5日目ナムチェ到着時。村は半分に割ったすり鉢状の土地に作られています。昔の写真を見る機会がありましたがずいぶん建物が増えました。この後天気はさらに崩れ雪になります。

 
ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
丸1日ふったあとの早朝。タムセルク山の後ろが白み始めました。好天の兆し。

 
ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
すっかり雪が止んでド快晴。村は白一色に一変しています。坂の多い場所だけに村を抜けるだけでもひと苦労。

ネパール トレッキング エベレスト
やったー!初エベレストです。奥に見える屏風状の山、その後ろに頭をのぞかせている山、わかりますか?あれがエベレストです。右にある高い山はローツェ山。屏風状の山はヌプツェ山の一部だと思います。

ネパール トレッキング ヤク
吊り橋にももちろん積雪。踏みあとができて一応歩けるのですが、川の上だけに凍っていてかなり恐い。荷を運ぶヤクはおかまいなしですが。

ネパール トレッキング タンボチェ
雪の中到着したタンボチェですが、翌朝はきれいに晴れ渡りました。これはこの地方最大の僧院(ゴンパ)。イエティ(雪男)のミイラがあるという話でしたが、この日は寒すぎて見学モードにならず。とほほ。

ネパール トレッキング エベレスト
タンボチェからもエベレストの頭がのぞめます。日本から来るツアーではこのタンボチェまで歩いてエベレストを拝む、というパターンも多いようです。これから10日ほどかけてあのふもとまで行くんですね。

ネパール トレッキング エベレスト
雪道は歩き慣れていないし、こんなにも積もったのでもう大変です。タンボチェからの坂を下りるだけで6回は転けました。軽アイゼンがあればホントに楽なのに……。

ネパール トレッキング クーンビラ山
とにかく滑るので下ばっかり見てあるいています。が、後ろは絶景。クーンビラ山Khumbila(5,761メートル)がそびえています。

ネパール トレッキング
このトレイルの影の主役アマ・ダブラム山が見えてきました。この山実はこのあともつき合いが長いんです。しかも見る角度によって様々に形を変えていきます。

ネパール トレッキング アマ・ダブラム山
パンボチェの集落が見え始めたところ。アマ・ダブラム山もまっすぐ上へ伸びています。

ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
パンボチェを過ぎてさらに谷の奥へ向かっているところ。

ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
オルショからペリチェとの分岐を過ぎてディンボチェ方向に入ったところ。ふり返ると息を飲むような光景。カミソリのようです。

ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
いよいよディンボチェの集落に入るところ。右に雲をまとうローツェ山の姿も見えます。

ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
ディンボチェで泊まった宿。背後に控えるのはアマ・ダブラム山。パンボチェあたりから見るのとは、少し様子が変わったのわかりますか。

ネパール トレッキング アマ・ダブラム山
そしてアマ・ダブラム山の夕景。山に最後まで当たる日の光はまさに希望の象徴。

ネパール トレッキング エベレスト
翌日高度馴化のため出かけたチュクン。残念ながらお天気がイマイチ。左手に黒々と立つのがローツェ山。正面に見えるのがアイランド・ピーク(イムジャ・ツェImja Tse)6,189メートル。トレッキング・ピークという比較的簡単なパーミットで登ることのできる山としてヨーロピアンに大人気です。確かにその名の通り、ぽっかりと浮かぶ様はまるで島のよう。この山を囲む氷河もまた素晴らしかったです。

ネパール トレッキング サガルマータ国立公園
山なので水は豊富かと思いきや、どこの宿も水は溜め置きが基本。洗面はこんな蛇口付きバケツですることになります。いい宿だとお湯を入れてもらえるのでかなりラッキー。

ネパール トレッキング 子ども
宿の子供たち。日差しが強いのでみんな日焼けしてほっぺはテカテカしています。この子たちもそろそろ学校に行く歳。この村には学校がないので困ったとオーナーである父親もぼやいていました。いつかはカトマンドゥの学校に単身赴任することになるのかなあ、この子達も。

ネパール トレッキング ストゥーパ
ディンボチェの村を見下ろすストゥーパ。風にはためくはずのタルチョもすっかり凍っています。

ネパール ヒマラヤ サガルマータ国立公園
そこから見下ろしたディンボチェの村とチュクン、そしてアイランド・ピーク。

ネパール トレッキング ロブチェ山
私たちは雲が切れてアイランド・ピークが姿を現すのを約30分待っていたのですが、ツアー客の人たちは先を急ぎます。これはトゥクラ方向の様子。雲の中から現れ始めたのはロブチェ山Lobuche(6,145メートル)。

ネパール トレッキング ヤク
山小屋へ物資を運ぶヤクの列。彼らはこれくらいの雪、何てことないようです。

ネパール トレッキング アマ・ダブラム山
ストゥーパのあった先ほどのビューポイントを発つ淳ちゃん。背後にはアマ・ダブラム山。またその姿を変えたのわかりましたか?

ネパール トレッキング 氷河
ペリチェの集落方向を見下ろしています。まっ白すぎてわかりにくいかも。明らかに氷河の後退したあとがわかる地形でもあります。左にそびえるのは、やはりアマ・ダブラム山。

ネパール トレッキング
右に見える丘はクーンブ氷河のエンド・モレーンの一部。トゥクラ手前です。正面、雲の切れ間からその姿を現し始めたのはチョラツェ山です。




▼PART52 2006.04.10 感動&納得のラスト 〜 ネパール サガルマータ国立公園その2
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