【詳しいルートの地図はこちら】
⇒ http://www.chiq1.com/a/map6.html
■最後の谷に入る
3月17日、12日目の朝が来た。ここはトゥクラThokla、4,620メートル。エベレストから流れ出るクーンブ氷河の末端にある集落だ。と言っても、ロッジが3軒あるのみ。実際はもう100メートルほど下がクーンブ氷河のエンド・モレーン(末端堆石)のホントの先っちょにあたるはずで、ここはおそろしく大規模なエンド・モレーンの中腹に位置している。
今日の目的地はロブチェLobuche(4,910メートル)。まずはこのクーンブ氷河のエンド・モレーンを200メートルほど登り、トゥクラ・パスThokla Pass(トゥクラ峠)を経て、クーンブ氷河の脇を進んでいく。直線距離にしてわずか数キロの行程だが、トゥクラとの高度差は約300メートル。HRA(Himarayan Rescue Association:ヒマラヤ山中の救助活動を行っている団体。ペリチェには診療所もある)では高山病予防のために1日に上がるのは300メートル以内にしておきなさい、と指導しているのでこれ以上進むのは良くない。実際、ほんのわずかな距離だが歩くと2〜3時間程度かかると言われている。そして私たちにとって、今日からは宿泊地の最高標高を更新していくことになる。果たして4,900メートルなんかで眠れるのだろうか。ディンボチェあたりから、少しずつ不調を訴えだした淳ちゃんは大丈夫だろうか……。
そんな不安を抱えながらのスタートとなる。が、この景色はどうだろう。真っ青な空に、まっ白な大地。実際はまぶしくて目も開けられないほどなのだが、空の青に雪の白。どちらもあまりに濃すぎて、まるで世界中にある青も白も、ここにある色を薄めて使っているだけなんじゃないかと思うほどだ。
左手にはタウチェ山Tawache(6,542メートル)にチョラツエ山Cholatse(6,335メートル)、背後にはアマ・ダブラム山Ama Dablam(6,856メートル)やタムセルク山がずらり並ぶ。そして目の前に立ちはだかる巨大なエンド・モレーン。こんな大きなモレーンを登るのは初めてだ。
こういった急坂が高山病には一番良くない。私でも少し息が上がり始めると、頭痛の虫がシクシク、シクシクと動き始める。あ、やばいな、と呼吸を整え息が上がらない程度に歩調をゆるめると頭痛の虫もおさまってくるのだが、体の警告を無視して登り続けると挽回不能な頭痛に襲われてしまう。高山病を抑えるコツというのはこういうことを言うのかもしれない。
それでも淳ちゃんはしんどそうだ。私よりもはるかにゆっくり上がってきているのだが、頭痛が始まっているらしい。ここでダメならトゥクラに引き返すしかないだろう。
ひと足先にトゥクラ・パスにたどり着く。雪原には石積みのチョルテン(チベット密教の仏塔:このあたりに住むシェルパ族はチベット密教を信仰している)が無数に並んでいる。エベレスト登山で命を落としたシェルパ族や登山家の慰霊碑なのだそうだ。なかには真新しい日本人の慰霊碑もある。彼らの勇気に敬意を払いながら、チョルテンの間につけられた一本道を進む。
おお……。ついに開けた。今、私はクーンブ氷河の先っちょにちょこんと立っているはずだ。その先にクーンブツェ山Khumbutse(6,665メートル)が見える。行き止まりだ。私の好きな、谷の行き止まりである。しかも氷河付き。氷河が削ったあとの谷ではなく、氷河がある谷だ。左にはプモ・リ山Pumo Ri(7,165メートル)が、期待通りの山容を見せてたたずんでいる。右には巨大なヌプツェの岸壁がそびえ立っている。ついに最後の谷へ入ってきた……そんな実感がヒシヒシとわいてくる。
淳ちゃんも上がってきた。思ったより元気そうだ。ロブチェに着いたのはお昼前。トゥクラから約3時間で上がってきた。
心地良さそうな宿に荷物を降ろし、昼食を食べる。シェルパ・シチュー(シャクパ)だ。これはニンニクをすりおろした塩味のスープにジャガイモやニンジンなどある野菜を何でも入れ、すいとんのようなものかマカロニを入れて、米も入れて煮込む。要するにごった煮スープなのだが、これがお腹も膨れて体も温まって非常においしい。ニンニク料理も少しずつ食べられるようになってきていたので、これは本当に元気の出るメニューである。
日当たりのいい窓際にどっかり腰を落ち着けて、午後は休養にあてる。本を読んだり、日記を付けたり、お茶を飲んだり。日が暮れると宿特製のダル・バートを食べ、早めに床につく。さすがに4,900メートルともなると何をしていても寒い。夕方からは雪も降り始めている。だがもう、雪が降ったってビクともしない。ナムチェを出てから毎晩のように雪が降っているが、もういいのだ。いちいち落ち込んでいてもしかたがない。靴が濡れるのももうあきらめがついた。慣れたのではない。あきらめたのだ。明日の朝には、乾ききらなかった靴が凍っているだろう。それももういい。あきらめた。それより私たちは今、目標としているカラ・パタールのふもとゴラクシェプまであと一歩の場所まで来ているのだ。本当にあと一歩なのだ。忍耐、忍耐。あと少し頑張れば、目標の地に立てるのだ。そんなことをブツブツ言いながらシュラフにくるまる。強がりを言ってみても寒いものは寒い。
■今日カラ・パタールへ
朝起きてみると窓際に置いていたコンタクト・レンズまでもが凍っていた。3月18日、13日目の朝である。私のスキンケア用品はなるほど優秀で、ゲル状のままだった。
そんなことに感心している場合ではなかった。淳ちゃんの様子がおかしい。調子が悪いのだ。夜の間にひどい頭痛がしたらしく、一時は吐き気もあったらしい。私も昨夜は頭痛で目が覚めたので、鎮痛剤を飲んで眠っていた。だが、淳ちゃんの吐き気は危険信号である。吐いてしまったらかなり深刻な状況であることは、今までの経験からわかっている。これはトゥクラに下山となりそうだった。
昨日3時間かけて登ってきた道を下るのは楽しい作業ではない。そして明日にはまた3時間かけて同じ道を登り直さなければいけない。ゴラクシェプは目の前。今日にもたどり着けるはずだったのだ。だがそんなこと、口が裂けても言えるわけがない。淳ちゃんは、あんなにグズグズと体調が悪かった私にひと言も愚痴を言わなかったのだ。そしてここ4,900メートルまでは、計画通り順調に上がってきている。もっと早い段階で、この登って下るを繰り返す可能性だってあったのだ。それに今日1日分下ったら、おそらく高度馴化は成功するだろう。何ひとつ無駄なことはないのだ。何があってもネガティブな発言はするべきではない。
そんなことを自分に言い聞かせなければいけない時点で、小さい人間だなあ私は、と反省しながら、淳ちゃんの体調が落ち着くのを待つ。他の宿泊客は慌ただしく朝食を済ませ、ゴラクシェプに向かっていく。調子のいい人なら、今日中にゴラクシェプに入って、カラ・パタールに登ることだって可能だ。
少し顔色が良くなった淳ちゃんがダイニング・ルームにやってくる。「今日はトゥクラに下らんでも良さそうやわ。ここで連泊すれば何とか乗り切れそうな気がする」ここまで来て無理な判断をするとも思えないので、淳ちゃんの言葉をそのまま信用することにする。少しは状態が良くなってきたのだろう。
「今日は高度馴化のためにもゴラクシェプまで歩いてみようか。荷物はここに置いていくし、調子悪かったら戻ってきたらいいしな」砂糖をたっぷり入れたホット・チョコレートをすすりながら淳ちゃんは言う。少し食欲も出てきたようで、いつもと同じメニュー、トースト&オムレツをオーダーする。
オムレツはいつも油をたっぷり吸っていて結構ヘビーなメニューなのだが、何とか完食できたようだ。トースト2枚に卵2個。これだけ食べられたら結構いけるんじゃないの?ツッこむと「うん、ちょっと元気になってきた気がする。まあ、もし、もしやで。もし、調子が良かったらカラ・パタールまで行ってしまうってのもありえるかもしれへんなあ」淳ちゃんの顔色がさらに良くなってきた。
9時、宿を出発する。日帰りで必要な分だけの荷物なので体が軽い。淳ちゃんの足取りも軽い。というか、早い。これはカラ・パタールを狙っているに違いない。30分も歩かないうちにそう確信した。そういう私の足もカラ・パタールを狙っている。ゴラクシェプまで2時間30分。軽く昼食をとって、カラ・パタールまで2時間。帰りはゴラクシェプまで1時間。そしてロブチェまで2時間。18時の日没までギリギリの時間だと思った。天気はこれまでにないほどの青空。いつもは午後になると雲が出てきて雪まで降るのだが、今日は持ちそうな気がした。チャンスだ。ジャッジはゴラクシェプに着いてからするが、今日はカラ・パタールまで行けるんじゃないか、そんな予感と自信がフツフツと湧いてきた。
淳ちゃんも同じ気持ちだったのだろう。早い早い。ホントに頭痛だったの?というくらいサクサク進んでいく。
ロブチェからゴラクシェプまでは、クーンブ氷河のサイド・モレーン(側堆石)の上をつらつらと進んでいくことになる。おまけに途中、左手から流れてクーンブ氷河と合流するチャングリ氷河Changri Glacierのエンド・モレーンを越えなければいけない。アップダウンの続くモレーンの雪道を気ばかりが急いてつるつる滑りながら、私たちは何とかゴラクシェプにたどり着いた。11時10分。ほぼ2時間で上がってきたことになる。張り切りすぎだ。
「行けるな、カラ・パタール。今日行こ」
どちらともなくそう言う。あれほど立ちたいと願った展望台に立てる日が、ついにやってきたのだ。たぶん今日、成功するだろう。ざわざわと胸が騒ぎ始めた。この日この瞬間のために今まで13日間、ジッとこらえて歩いてきたのだ。でも、今日でなくてもいい。もし途中で体調が悪かったら、また明日チャレンジすればいい。大切なのは、必ず立つ、ということなのだ。今回はそれが明確なだけに、ざわざわと騒ぎ始めた気持ちもそれ以上沸き立つことはない。喜ぶにはまだ早い。あと2時間、まだ残っているのだ。
天気は運良く持ちそうである。カラ・パタールからの景色は、午前中に見ても逆光でイマイチだ。だが午後になると雲が湧き出てしまって、肝心のエベレストが姿を隠してしまうことも多い。でも今日はいけそうだ。このチャンスを何とか生かしたい。
持ってきたスニッカーズとクッキーで簡単に昼食をすませる。11時30分、カラ・パタールに向けて最後の登りに入った。
■頂に立つ
ゴラクシェプの標高は5,140メートル。カラ・パタールの標高は5,550メートル。その差約400メートル。平地だったらなんでもない丘も、5,000メートルを超えると苦行のようだ。酸素は平地のほぼ半分しかない。
息が上がるのを無視して登り続けると、あっという間に頭痛に包まれて脱出できなくなる。気持ちは焦るのだが、一歩一歩、体の声を聞きながら登るしかない。淳ちゃんはあっという間に見えなくなってしまった。大丈夫なのだろうか。
ハッ、ハッ、ハッ……。自分の息と、時おりビュウッと吹く風の音しか聞こえない。ここまで来ると自分のまわりの世界は本当に静かだ。矛盾しているようだが、まるで静寂までがもが「シーン」という音になって聞こえてきそうなほどなのだ。
口や鼻から入ってくる空気は本当に薄い。口をパクパクさせて、空気を食べたいほどだ。こればかりはどうしようもないので、ゆっくり進むしかない。
カラ・パタールの頂が見えてきた。風にはためくタルチョも見える。ああ、あそこが私たちのゴールか。どうしても立ちたいと、この数ヶ月願い続けた場所か。頂上を攻める登山に興味はないが、今度ばかりはあの場所に立つことに意味がある。もうここからふり返って見る景色も、カラ・パタールから見る景色とさほど変わらないだろう。だが、今回だけは、あの頂にふたりで立たなければいけないのだ。
淳ちゃんが待っている。サングラスで目の表情は見えないが、頬にはふた筋の涙のあと。あぁ、もう泣いちゃっているのか。そんな淳ちゃんを見たら私だって泣けてくる。あと一歩。もう一歩。最後はツルツルの氷の斜面を這いつくばってよじ登る……。
やったー!ついに立った。カラ・パタールの頂に!ふたり揃って立つことができた。13時20分、私たちはついに、憧れ続けたカラ・パタールにたどり着いたのだ。ツルツルの斜面の石に足を引っかけながら、固く抱き合う。涙で抱き合う。もうバカ丸出しだ。いや、バカでもなんでもいい。ふたりで立つぞと、ポカラで寝込んでいたあの日からずっと思い続けていたのだ。今日ばかりは、大バカをやらせてもらおう。
「いやー、ついにやったね」「今日来てしまうとはね」「それにしても、ちーちゃんの足早かったなあ」「何言ってんの。淳ちゃんこそめっちゃ急ぎ足やったやん」固く握手を交わしながら、やっと声が出た。そしてここで言おうと思っていたことがある。「淳ちゃん、ありがとう!」腸チフスにかかってからこれまで、ホントにたくさん心配も迷惑も苦労もかけてしまった。カラ・パタールの頂に立つことができて、やっとこのセリフでこの数ヶ月をシメることができる。本当にありがとう。淳ちゃんはどうでもいいみたいで、途中からは私の話を聞いていないみたいだったが、私はもう一度心の中でそうつぶやいたのだった。
それにしてもどうだろう、この景色は。絵はがきやポスターで、カラ・パタールからの眺望というのはある程度頭に描けていたのだが、その規模がまったく違う。ちらりと頭だけ見せていると思われていたエベレストの圧倒的な存在感。あれはこの地球で一番高い山なのだ。標高8,850メートル。その先は、天。ここから見ると3,000メートルちょっとの高度差でしかないが、8,8000メートルというとてつもない高さを、想像力をびんびんに働かせてイメージしてみる。こりゃ、えらいものを目にしているものだ。
足元には、エベレストから始まるクーンブ氷河がどどどーんと横たわる。いつもは灰色のモレーンにおおわれた味気ない氷河なのだが、雪のおかげで幻想的な光景に様変わりしている。後ろをふり返れば屹立するプモ・リ山。そこから流れ出るチャングリ氷河。エベレストの隣にはヌプツェ山が立ちはだかり、遠くアマ・ダブラム山まで見渡せる。景色がどうのというより、むしろカラ・パタールの頂に立つこと自体が目的になっていたが、この光景は有無を言わせないものがある。
下からもうひと組トレッカーが登ってきた。一歩進んでは休み、また一歩進む。私と同じだ。あと数歩足を進めれば、彼女はこの頂にたどり着く。その貴重な一瞬の喜びを私たちは知っている。2人立てばいっぱい、と言われるカラ・パタールの頂の座を空けるため、私たちは立ち上がった。
14時。そろそろ下山を始めなくてはいけない。今日は予想外のカラ・パタール到達だったので、私たちはロブチェまで帰らなくてはいけないのだ。少しずつ雲も増えてきた。ちょうどいいタイミングだろう。それにしても、私たちは何てラッキーだったか。いつものこの時間なら雲に覆われて、雪すら降りかねない天気が続いていたのに、今日は14時まで快晴だ。このラッキーにケチをつけないためにも、ロブチェまでケガなく元気に戻らなくてはいけない。
そのあとは順調に歩を進め、ロブチェの宿には17時30分にたどり着いた。明日体調がよければ、今度は全ての荷物を持ってゴラクシェプに上がるつもりだ。
■ついつい焦る
3月19日、14日目。淳ちゃんの高度馴化も何とかうまくいったようで、今日はゴラクシェプまで上がれそうだという。8時20分、ロブチェ出発。
昨日とは荷物の量が違うせいだろうか、ゴラクシェプに着いたのは12時。思ったより時間がかかった。さてどうしようか。「ベースキャンプ、行ってしまおうか」淳ちゃんが言う。エベレスト・ベースキャンプは、2つ目の目標地だ。カラ・パタールと同じくゴラクシェプを起点に出かける。標高5,364メートル。エベレストは見えないが、クーンブ氷河のど真ん中に位置し、頂上直下から流れ出る大氷爆ウエスタン・クウムWestern Cwmの一端を見ることができる。
ここまでの道で考えていたのだろう。ベースキャンプまでは行き3時間、帰り2時間。何とか間に合う。それに今日行ってしまえば、明日からは下山を始めることができる……。そう、出発前に自分を戒めていた事態が起こり始めたのだ。カラ・パタールという目標を達成したあとの自分。早く下山に入りたい、予定をこなしてしまいたい。今までジッとこらえて進んできただけに、ガマンが効かなくなってきている。昨日の成功をもう一度再現できるんじゃないか、そんな根拠のない自信も湧き出てくる。淳ちゃんも同じ状態に陥っていることがよくわかった。
「目標を達成したあと、早く終わらせたくて焦るともったいないぞ」今回はこのことを重々自分に言い聞かせている。今日エベレスト・ベースキャンプへ行ってしまいたいと思うことは、自分が焦っている証拠だと思った。だがもしかすると、行かないことで、昨日の好調の波を止めてしまうことになるのかもしれない、とも思った。それに、少しでも早く下山した方が淳ちゃんの体にも負担が少ないだろうとも考えた。うーん、どうしよう。よし、とりあえず行ってみよう。ダメだったら戻ってきたらいいだけだ。ダメだった時にやり直す気力は十分残っている。
12時30分、私たちはベースキャンプに向けて歩き始めた。時間的にはギリギリだろう。トレイルはクーンブ氷河のサイド・モレーンの上っ面にのびている。しばらくはアップダウンが続く。
今日は頭痛がひどい。10歩進むたびに休まないと、頭が割れそうだ。あまりよくない傾向である。淳ちゃんも頭痛が始まったようだった。落石が恐いので岩かげに腰かけ、息を整えるためしばらく休む。
「おれら、めっちゃ疲れてるみたいやな」淳ちゃんが言う。どうやらそうみたい。私も納得だ。今日は進むべきじゃない。また明日来たらいい。ゴラクシェプから1時間ほど進んだところで、私たちは引き返すことにした。
淳ちゃんは、もうベースキャンプは行けなくてもいいかな、と思い始めていたようだった。確かに一番の目標はカラ・パタールの頂に立つことだったから、それでも悔いは残らないだろう。でも、何だか今回はベースキャンプにも行っておかなければいけない気がした。今回は、行こうと思っていた場所すべてに行くべきだ。いつもなら「ケガをしたら楽しくないし、欲張らないでおこう」とやめていたかもしれない。でも体力的に行けるのなら、今回は欲張って行くべきだ。きっと神様だってまだ応援してくれるだろう。
そうして私たちは、15日目にあたる翌3月20日、2つ目の目標地であるエベレスト・ベースキャンプにもたどり着くことができた。クーンブ氷河の様は、話に聞いていた以上だった。氷河の上に立ったのは、ずいぶん久しぶりのことだ。岩を削ってジリジリ進む氷河の「生きている音」が実際聞こえるわけでもないのに、氷河の上に立つとなぜだか心が沸き立つ。太古の空気をまとう氷の息吹を肌で感じるのだろうか。氷河の上に立つと、何だか指先から光がでるように、開放された大きな気持ちになれるのだ。淳ちゃんは相変わらず、氷が造り出す景色に見とれ、あちらこちらと歩き回っている。パッと見、ただの砂利道にしか見えないが、よくよく見るとクレバスがそこかしこに潜んでいる。ここは間違いなく氷河の上なのだ。来て良かった。改めてそう思う。
■最後の地ゴーキョ
3月21日、16日目。いよいよ私たちは山を下りることにした。カラ・パタールもベースキャンプも両方行けた。天気も良かったし、ケガをすることもなかった。大満足である。次は最後の目標地、ゴーキョ・リへ向かう。
ゴーキョ・リはクーンブ氷河のある谷とは別の谷をさかのぼっていく。最奥の集落は、ゴーキョ4,790メートル。すぐ脇にはネパール最大の氷河、ンゴズンパ氷河が横たわっている。そこを拠点にして5,360メートルのゴーキョ・リまで登る。すでに私たちは高度馴化ができているはずである。ゴラクシェプからゴーキョまでは順調にいけば4日で着けるはずだ。
この日はロブチェ、トゥクラとクーンブ氷河の脇を下りペリチェを経由してオルショまで進むことができた。8日前に泊まった場所だ。1,000メートル近くも標高を下げたおかげで、体が一気にラクになる。空気が濃いのがよくわかる。
翌3月22日、17日目。さらに谷を下ってパンボチェPangbocheを経由し、昼過ぎポルツェPhortseに着く。標高3,810メートル。ここは日当たりのいい山腹につくられた気持ちのいい村である。久しぶりに子供の声が家々に響く。今までは人は住んでいても子供たちが一緒に住むような場所ではなかった。やっと生活の地に戻ってきた気がする。
3月23日、18日目。今日からふたたび登りになる。ポルツェを出ていったんポルツェ・タンガPhortse Thenga(3,680メートル)まで下りドゥードゥー・コシの河原に出る。そこからドーレDole(4,200メートル)、マッツェルモMachhermo(4,410メートル)と一気に標高を稼ぐのだが、何しろ足場が悪い。溶け始めた雪でトレイルはドロドロのベチャベチャ。なかなか進めないので、この日はマッツェルモの手前ルザLuza(4,360メートル)で宿をとることにする。やはり高度馴化ができているようで、ふたりとも頭痛の気配はまったくない。
3月23日、19日目。1時間ほどでマッツェルモを通過し、順調に高度を稼ぐ。10年ほど前に日本人ツアー客を含む26人が雪崩に巻き込まれたパンガPhanga(4,480メートル)のカルカ(夏の放牧地)を過ぎ、いよいよ最後の登りに入る。マッツェルモあたりから見えていた、ンゴズンパ氷河の巨大なエンド・モレーンの脇を登っていくのだ。1時間30分ほどで最初の湖ロンポンガ・ポカリLongponga Pokhariに着く。淳ちゃんは高度馴化ができてしまえば私よりはるかに身体能力が高いので、もうずっと先を行ってしまっていて私からは見えない。私の方は疲れもたまっているせいだろうか、息は上がらないのだが思ったより早く進めない。遅れてさらに30分ほど歩くと、2番目の湖タウジュン・ポカリTaujun Pokhariが現れる。目指すゴーキョは3番目の湖ドゥードゥー・ポカリDudh Pokhariの脇だ。13時30分、やっとのことでゴーキョに到着した。ゴーキョ・リへは明日登ることにする。
■ゴーキョ・リも達成
3月24日、20日目だ。ゴーキョ・リも東向きの展望地なので午前中は逆光になってしまう。それでも頂上まで約2時間かかるということなので、8時には宿を出る。高度差は600メートル近い。斜面には雪がずいぶん残っていてトレイルもはっきりしない。
淳ちゃんはよっぽど調子がいいようで、ガシガシ登っていく。あっという間に見えなくなってしまった。私は、右方向で雪に埋もれドツボにはまっている欧米人の男性を横目に見ながら、足場の良いところを探してゆっくり登っていく。斜面は思ったよりキツく、あっという間に息が上がってしまう。
いよいよこれで、本当に最後のポイントだ。ゴーキョ・リも制覇できたら、行きたかった3つのポイントにすべて行けたことになる。大成功というわけだ。私たちの旅のエンディングを飾るにふさわしい、最高のラスト。こんなにもすべてうまくいくとは、私たちも何てラッキーなんだろう……。キッツイ登り坂の足元ばかりを見つめながら、私の顔はほほえみに満ちている、というより薄笑いだったはずだ。いつもなら、苦しい登り坂でキツイ思いにふたをして淡々と登るところなのだが、気持ちだけはこの素晴らしい幸運にすでに酔い始めている。
タルチョが見えた。あそこが頂だ。岩かげから淳ちゃんもひょいと現れた。両手を大きく広げて待っている。
最後の岩をよじ登る。着いた。ついに3つめの目的地もクリアした。やったー!もうぐったりだ。待ちくたびれた風の淳ちゃんは、私をお気に入りのビューポイントへさっそく案内してくれる。ゴーキョ・リはカラ・パタールと違ってあちこち歩き回れるほど広い頂なのだ。
その素晴らしさは話に聞いていた。ヒマラヤを一望とはこのことだ、と。その言葉にウソがないことがよくわかった。神々の座をまるで手に取るように眺めることができる。左からチョ・オユー山(8,153メートル)、ギャチュン・カン山(7,922メートル)、エベレスト山、ローツェ山Lotse(8,501メートル)。遠くにはマカルー山Makalu(8,463メートル)もくっきり見える。右手には特異な形をしたチョラツェ山に、タウチェ山。そして足元にはンゴズンパ氷河の限りなく続く氷塊。カラ・パタールではその圧倒感に組み伏せられた感じだが、ゴーキョ・リからの眺めはまたひと味違う。まるで自分が神の一員にでもなったかのような、そんな広大な視界を手に入れることができるのだ。
もう満足。何も思い残すことはない。こんなにうまくいくとは思っていなかった。これは考えられる限り、サイコーの結末だ。天候や体調、自分でコントロールしにくい要因がたくさん絡まるトレッキングだが、このラストは文句なし、最高の形である。今までの旅のこと、旅を終えたあとのこと、今私たちの胸の中には、たくさんの思い出も希望も詰まっている。それもこれも、この旅がこんな素晴らしい形で最後を迎えられたからだ。それも私たちが思い描いた通りに。こんな幸せなことはない。私たちは最初から最後まで、本当にラッキーな旅人だった。私たちに幸運を与えてくれたすべてに感謝をしたいと思う。
そして3月31日、26日目。何だかんだ言いながら途中で気が抜けてしまって、風邪を引いてしまった私だが、朝10時、無事カトマンドゥ空港に帰ってきた。これで本当にこの旅が終わる。
▼トレッキング 覚え書き
23/6[1日目] 晴→曇
Khatmandu→Lukla(2,840m) 飛行機移動
Lukla→Ghat
3/7[2日目] 晴→曇
Ghat→Thado Koshi
3/8[3日目] 晴→曇
Thado Koshi→Monjo
3/9[4日目] 晴→曇
Monjo
3/10[5日目] 曇→雪
Monjo→Namche(3,440m)
3/11[6日目] 雪
Namche
3/12[7日目] 晴→雪
Namche→Tengboche(3,860m)
3/13[8日目] 晴→曇→雪
Tengboche→Orsho(4,085m)
3/14[9日目] 晴→曇→雪
Orsho→Dingboche(4,410m)
3/15[10日目] 曇→雪
Dingboche→Chukhung(4,730m)→Dingboche
3/16[11日目] 晴→雪
Dingboche→Thokla(4,620m)
3/17[12日目] 晴→雪
Thokla→Lobuche(4,910m)
3/18[13日目] 晴
Lobuche→Gorak Shep(5,140m)→Kala Pathar(5,550m)→Lobuche
3/19[14日目] 晴
Lobuche→Gorak Shep
3/20[15日目] 晴
Gorak Shep→Everest Base Camp(5,364m)→Gorak Shep
3/21[16日目] 晴
Gorak Shep→Orsho
3/22[17日目] 晴→曇
Orsho→Phortse(3,810m)
3/23[18日目] 晴→曇
Phortse→Luza(4,360m)
3/24[19日目] 晴→曇
Luza→Gokyo(4,790m)
3/25[20日目] 晴→曇
Gokyo→Gokyo Ri(5,360m)→Gokyo
3/26[21日目] 晴→曇
Gokyo→Ngozumba Tsho(4,990)手前→Gokyo
3/27[22日目] 晴→曇
Gokyo→Phortse Thenga(3,680m)
3/28[23日目] 曇
Phortse Thenga
3/29[24日目] 晴→曇
Phortse Thenga→Namche
3/30[25日目] 晴→曇
Namche→Lukla
3/31[26日目] 晴
Lukla→Khatmandu 飛行機移動
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トゥクラの宿を出たところ。タウチェ山とそのふところから流れ出る氷河が確認できます。
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クーンブ氷河のエンド・モレーンを登る様子。とにかくでかい。
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トゥクラ・パス。遠くに見える石積みもシェルパの墓。いったいどれほどの人がこの地で命を落としたのか。おびただしい数のチョルテンがアマ・ダブラム山と向き合うように立てられています。
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トゥクラ・パスを過ぎたところ。正面つきあたりに見えるのがクーンブツェ山。いよいよ行き止まりが見えてきました。右にそびえるのはヌプツェ山。
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ロブチェ手前。どどーんとプモ・リ山が立ちはだかるよう。
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そして勝負の日。カラ・パタールへ向かう最後の斜面。無数のケルンが導いてくれます。ふり返ればクーンブ氷河の全貌があらわになり始めていました。中央に屹立しているのは、あのアマ・ダブラム山。
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頂まであと少し!後ろにはエベレスト山の頭が見えています。が、しんど過ぎるのでしょうか。見向きもせずひいひい言いながら登っています。
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そしてついにたどり着いたカラ・パタールの頂。エベレスト山もしっかり拝めました。写真で見るとどうしても背後にある感じが拭えないのですが、実際の存在感はなかなかの迫力でした。
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そしてエベレスト山としばし対面。左にただずむヌプツェ山、そして足元を流れるクーンブ氷河、と最高の役者が揃っています。こりゃホントに素晴らしい!
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ゴラクシェプからロブチェへ戻る途中、夕刻のクーンブ氷河。この辺りは本当に夕方が一番美しいはず。こんな雲ならいい脇役です。
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そして2度チャレンジしたエベレスト・ベースキャンプ。この氷河の奥、青っぽく見える場所あたりにあります。
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トレイルはいよいよサイド・モレーン上から、クーンブ氷河の上へ進路を変えます。
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足元だけ見ればただの砂利道ですが、実際はこんなことに。やっぱりここは氷河の上なんです。
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久しぶりに出会ったごっつい氷河。躍動感あふれております。
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アメリカの登山隊の準備のためすでに何人かのシェルパがテントを張っていました。
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ここからは下山中の様子。これはペリチェ手前。またもやアマ・ダブラム山の登場です。氷河が流れていたあとがはっきり見えますね。
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パンボチェ近くの様子。9日前の写真とはずいぶん様子が変わりました。アマ・ダブラム山の様子もまた変わりました。
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ポルツェから。ゴーキョはこの谷の奥にあります。
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マッツェルモ手前の様子。チョ・オユー山(たぶん)も見え始めました。
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パンガを過ぎてンゴズンパ氷河のエンド・モレーン脇を進みます。
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そしてゴーキョ到着!ドゥードゥー・ポカリも半分凍っています。
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翌日ゴーキョ・リに登った時の様子。ンゴズンパ氷河のすぐ脇にゴーキョの集落があることがよくわかります。こりゃスゴイ。
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そしてゴーキョ・リからの眺め。これは北方向の眺め。一番左に見えているのはおそらくギャチュン・カン山。一番右にはエベレストが見えているのわかりますか?
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そして南方向。エベレストは左端にいます。雲をかぶっているのがヌプツェ山とローツェ山。その右に頭をのぞかせているのがマカルー山。ちょっと左に傾いている変な山がチョラツェ山です。
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ということで、エベレストと記念撮影。淳ちゃんのこのポーズ、本人も解読不可能。でも嬉しそう。
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チョラツェ山をメインにゴーキョとドゥードゥー・ポカリを。
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村のすぐ裏にあるンゴズンパ氷河のサイド・モレーンに登ってみました。夕方なので雲が出てきましたが雄大な眺めに思わず絶句。
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ここで終わるはずが去りがたく、ゴーキョ・リに登った翌日、5番目の湖と言われるンゴズンパ・ツォへ出かけました。が、雪が深すぎて最後まで進めず……。これはそのトレイルから撮ったンゴズンパ氷河の別の顔。さすがネパール最大の氷河。デカイです。
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ゴーキョから下山しナムチェの手前まで帰ってきたところ。約20日前とはまったく景色が違います。山も春を迎えたようで、空は霞み気味。右手奥に写っているのはあのアマ・ダブラム山。正面奥には、かろうじてエベレスト山の頭も確認できます。ありがとう、さようなら、エベレスト。
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標高2,000メートル代に下りてくると春爛漫。桜も満開を過ぎ散り始めていました。桜のあまりの美しさに思わず涙が。桜ってホント魔力がありますね。
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カトマンドゥに向かう飛行機。どことなく光も春めいてきたような。万感の思いで飛行機に乗り込みます。が、このあとジェットコースター以上の恐怖の離陸で感動もどっかに吹っ飛んでしまいました。この飛行機はホントに恐ろしかった……。とにもかくにもありがとう、ヒマラヤ!
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