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プーノからクスコへ向かう列車から。ボリビアでは地元の人と一緒の列車に乗ることができましたが、ペルーに入ってからはパッキリと分けられることに。ペルー自体の物価は安いのですが、こういった観光客相手のものは一気に値段が跳ね上がります。この値段設定といい観光客を隔離してしまうようなやり方といい、ペルー政府が押しつけてくる観光スタイルにはちょっと閉口気味でした。
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最高所であるラ・ラヤLa Raya駅。標高4,319メートルもあります。列車はここに10分ほど停車します。物売りから昼食を買えると思っていてアテが外れた私たちは、ここで何とかおやつをゲット。13時30分でした。おみやげ物に混じってお菓子やエンパナーダ(ミートパイ)やソフトドリンクが売っています。
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ラ・ラヤで楽しみにしていたのがアルパカとの記念撮影。リャマは多くいますがアルパカにはなかなか会えません。もちろん彼女にはチップが必要ですが、このレアさとアルパカの顔のおかしさに納得。
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一方これはクスコ市内。市内を歩いていると「シャシン、トッテクダサーイ」と声をかけてきます。残念ながらこれはたぶんリャマということ。サン・クリストバル教会にて。
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クスコの中心部アルマス広場周辺。瓦屋根の家がびっしり並んでいます。かつてインカの首都だったクスコ。スペイン人は目につくすべての黄金を持ち去ってインカの神殿を破壊し、その土台を利用してこの都を造ったといいます。そんな経緯があったものの、クスコは美しい町でした。人々の誇りが今なお生きている町なんでしょうね。
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スペイン人もその土台を利用したように、インカの人々の石組み技術は素晴らしかったといいます。カミソリの刃1枚すら通さない、とも称されたとか。中でもロレト通りCalle Loretoに残る石組み「12角の石」は有名。4辺で済むところをなぜあえて12角にしたのか、王族の数とあわせているとか1年の各月を現しているとかいろんな説があるそうです。今ではすっかり観光地化。インカ王に扮した男性が写真撮影用に立っていたりして、笑えます。右に写っているのが営業中のインカの王。
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サルカンタイトレッキングのスタート地点モリェパータ。のんびりした町ですが、この時期この時間はトレッカーでにぎわっているようです。ここで朝ごはんを食べて、いよいよスタート。
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1日目の休憩ポイントにて。ソライ・パンパまでは、こういった段々畑が広がる谷の間を進んでいきます。気持ちのいい日でした。
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ソライ・パンパから眺めたサルカンタイ山の夕景。明日はあの脇を抜けていきます。
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キャンプ地はこんな様子。サルカンタイ山の氷河が後退したあとがはっきり地形に現れていますね。私たちが寝ていたのは手前左側のテント。4人用だったので広々使えました。実際は胃の膨満感がキツくてそれどころじゃなかったんですけれど。
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2日目歩き始めたところ。ソライ・パンパのもうひとつ上サルカンタイ・パンパSalkantay Pampaかと思われます。しんどそう。
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吐いてスッキリしたはずが、さらに調子悪くなったあたり。ホンマにしんどそうですが、バックに広がる谷は美しいです。
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マルコ(写真左)の計らいで馬に乗せてもらったところ。山岳地帯を行く馬だからなのか、ずんぐりむっくりの小さめな馬でした。
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馬に揺られて進みます。もうすぐ峠に差しかかるところ。左の斜面を上がっていきます。
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最高所4,650メートルのサルカンタイ峠にて感激の記念撮影。私たちの後ろに積まれたケルンは地元ケチュアの人々のおまじない。コカの葉3枚を用意し、峠を越す前に願いをかけながら大切に手元に置いておきます。無事峠まで来ることができたらそのコカの葉をこのケルンの中に供えて行くのだとか。淳ちゃんは途中でコカの葉を食べてしまい、ガイドのホセに怒られていました。
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峠から振り返ったサルカンタイ山。次々現れては消える雲をまとって幻想的な姿を見せています。斜面には踊るような氷河!1ヶ月半ぶりくらいの氷河ご対面です。
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一気に標高2,900メートルのコルパ・パンパまで下ります。峠を越えたあたりから雲が増えてきました。馬に乗ったまま動いていないので、かなり冷えます。
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無事コルパ・パンパまでたどり着いて3日目の朝を迎えました。このあたりの谷には、斜面の途中にちょうどバルコニー状になった台地がよく見られます。そんな場所をパンパと呼んで古くから住居などに利用したようです。
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3日目はプラヤという場所まで歩いたあと、乗り合いトラックを利用してサンタ・テレッサという集落へ向かいました。地元の人もどんどん乗り込んできてギュウギュウな車内でしたが、女性には席を作ってくれました。右からマリア、レベッカ、ハナ。
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3日目の宿泊地サンタ・テレッサ。10年ほど前大洪水がこの村を襲ったそうで、鉄道も含めてすべて流されてしまったそうです。古い村はこの写真右手、ちょうどグランドの奥の部分にあったそうです。現在は安全な高台に村を移しています。かつての集落跡には現在学校が建てられています。
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洪水のせいでいまだ近くの鉄道駅に行くための橋もありません。人々の足はなんとブランコ。荷物がなければ3人ぐらい乗れるようです。このブランコがどうなるかと言うと……。
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ひぇー。こんなことになります。これがなかなか恐い!反対側へ渡ったあとは次の人がブランコをたぐり寄せないといけません。これもなかなか大変な作業。学校帰りの女の子が慣れた手つきで乗っていましたが、ひとりの時はどうするんでしょうね。
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ブランコで川の向こう側に渡ったあとは、ふたたび乗り合いトラックに乗り、最寄りの鉄道駅イドロエレクトリカHidoroele'ctricaまで行きました。ここから約1時間列車に乗ってアグアス・カリエンテスに向かいます。まるで行き止まりのように見える地形ですが、このあと列車はスイッチ・バック方式で山の中腹まで登り右手にある細い谷の間へ入っていったのでした。
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マチュピチュ遺跡のエントランスの様子。せっかく早く着いたのに入場できなくて、がっかりしているところ。右手にはワイナ・ピチュの頭が見えています。
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わー!マチュピチュです。誰が撮ってもどこから撮っても「ザ・マチュピチュ」になりますね。朝もやのかかる幻想的な姿も見たかったけど、しゃーない……。
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美しい段々畑。1万人もの人がこの周辺で暮らしていたそうです。この地で作られていた作物もなんと200種以上というから驚きです。現在はとてもよく手入れされた芝生になっています。これを見つけたハイラム・ビンガムもさぞかし驚いただろうなあと思います。
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遺跡の背後にそびえるワイナ・ピチュ(若い峰という意味だそう。ちなみにマチュピチュは老いた峰という意味)にも登ってみました。深い渓谷と険しい山々のなかにポツンと現れるマチュピチュの様子がよくわかります。左手に蛇行しているのがアグアス・カリエンテスから上がってくるバスの車道。実は個人的にはワイナ・ピチュヘ登るよりインティプンク側から眺めた方がよかったんじゃないか、と思っています。
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遺跡内にはリャマが放し飼いにされています。わがもの顔で遺跡内を闊歩するリャマ。鼻水をブシュッとかけて攻撃してくるところなどラクダ科らしいふるまいかも。
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