World Odyssey 地球一周旅行

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旅の日記
見たもの、乗ったもの、食べたもの…たくさんの驚きを写真と一緒にお伝えします。



▼PART39 2005.07.21 サルカンタイルートで目指せ空中都市
>>ペルー マチュピチュ遺跡



■憧れのマチュピチュ

ペルー南部の山岳地帯に、インカ時代の秘密都市が手付かずで残された場所がある。16世紀にこの地を征服したスペイン人の手を逃れるため、インカ帝国の首都であったクスコCuzcoから遠く離れた山奥に彼らは要塞都市を作り上げた。その秘密基地はクスコからウルバンバ川Ri'o Urubambaを約115キロ下った場所より400メートル一気に登った、標高2,280メートルの山の頂にある。それが「空中都市」とも呼ばれる、マチュピチュMachuPichuだ。

その独特なフォルムや神秘性から、多くの人の憧れを誘うマチュピチュである。私たちもこの旅行を始める前から「いつかはマチュピチュへ行きたいねー」と話していたし、実際旅行に出かけることになった時も「旅行前半戦のハイライトだ!」と思っていたものだ。

ところがマチュピチュは、遺跡である。スペイン人の手が及ばない山奥に作られた、石造りの都市跡である。メヒコで失敗して以来、遺跡を楽しむことに関してはちょっと自信が持てない私たちだ。おまけに「パタゴニアに行ったあとでは、マチュピチュなんて鼻クソですよ!」という意見も聞いている。あんなに憧れていたマチュピチュだが、本当に楽しむことができるのだろうか……実は、まったく自信がなかった。だが人気のマチュピチュともなると「行くのやーめた!」と言う勇気もない。せっかくここまで来たんやしなあ……。パタゴニア旅行を終えたばかりの私たちは、かなり消極的だった。

だが、それではもったいない。とりあえず行っておこか、というのは私たちが一番避けたいスタイルだ。だったら「行かない」方がマシなのだ。贅沢な話だと受け取られるだろうが、こういった長期・長距離の旅行をしていると、「行かない」という選択肢も尊重すべきスタイルだと考えるようになってくる。時間やお金の制約があって「行けない」わけではない。私たちには時間がたっぷりあって、どんなルートだって組むことができる。だが「有名観光地だから」という理由で訪問地を決めることは、時に自分たちらしい旅でなくしてしまうことがある。「行かない」という選択肢は、私たちの旅を真に自分たち自身のものにするために必要な、(大げさだが)ひとつの勇気と言っていいのかもしれない。

私たちが楽しめるマチュピチュ……それはやっぱり、自分の足で歩くことだろう。幸いなことにマチュピチュへはトレイルが続いている。



■マチュピチュ観光をするには

マチュピチュ観光のスタイルは大きく分けてふたつある。ひとつはクスコから列車に乗って、マチュピチュ遺跡の玄関口アグアス・カリエンテスAguasCalientesまで行き、そこから専用バスに約20分乗って遺跡入り口まで向かう方法。もうひとつは、インカ道Camino del Inca(カミノ・デル・インカ)と呼ばれる、かつてインカの人々が行き来した道を歩いてマチュピチュを目指す方法だ。
簡単な地図をアップしてあります。
こちらから⇒ http://www.chiq1.com/a/map3.html

列車は観光客しか利用できず、とんでもなく高い。一番安いバックパッカークラスで現在、往復約70USドル(約7,350円)。アグアス・カリエンテスからのバスも往復12USドル(約1,260円)と驚くような設定だが、ほとんどのマチュピチュ観光客はこの方法を取っている。

一方、インカ道トレッキングも年々人気が上がっている。こちらは、クスコからマチュピチュへ向かう途中のオリャンタイタンボOllantaytamboという村の先にある、キロメートル・オチェンタイオーチョkm88あたりから歩き始めるという(近くの別地点のこともある)。インカ道トレッキングはペルー政府に篤く保護されていて、公認ガイドを付けることや1日にトレイルに入れる人数を200人に限定する(4週間前の予約が必要になる)ことなどが義務づけられているようだ。一般的には個人でガイドを雇うと高くついてしまうので、インカ道トレッキングをしたければ必然的にツアーに参加することになってしまう。

私たちが楽しめるマチュピチュを考えると、インカ道トレッキングが一番のようだ。ツアーに参加するのはあまり好きではないが、個人でガイドを雇うほど予算もない。ここは割り切ってツアーを楽しもうということになった。

インカ道トレッキングは乾期にあたる4〜10月ごろがシーズンだという。私たちが訪れるころはちょうどシーズンまっ盛り。おまけに4週間前の予約が義務づけられているので、早めにネットで申し込んでおく必要があった(実際には形骸化しているようだ)。だが1ヶ月先の予定を決めるのはちょっと苦手な私たちだ。現地で何とかなるよ、という話も聞いていたので「まー、いけるやろー」とタカをくくっていた。



■サルカンタイルートで行こう

その噂は、アンデス高地の旅を始めたウユニ塩湖で初めて耳にした。

「インカ道トレッキングは8月までいっぱいらしい」……その時5月の中旬。1ヶ月先の予定を決めるのはイヤだなあ、などと言っている場合ではない。すっかり人気の上がったインカ道トレッキングは、トップシーズンである6月、7月まで予約不可能な状態になってしまっていた。それでも「どうせキャンセルが出てるやろー」ぐらいにのんきな私たちだった。

ラ・パス、プーノとクスコに近づくにつれ、その噂はいつの間にか噂ではなく揺るぎない事実になっていた。インカ道トレッキングは、無理だ……。クスコに入るころには、私たちにもすっかり現実が見えていた。

だが、トレッキングでマチュピチュを目指すという楽しみをあきらめてクスコに入ったわけではなかった。インカ道は無理でも、他にいくつかトレッキングルートがあるらしいのだ。その昔、インカの人々が歩いた同じ道でマチュピチュを目指す……そんなロマンあるトレッキングは無理になったが、歩いてマチュピチュを目指す楽しみは変わらない。遺跡を上手に楽しめない私たちだ。列車で行ってしまったら、ただの石に見えてしまうかもしれない。インカ道トレッキングが無理でも、別のルートでマチュピチュを目指すことにふたりとも異議はなかった。

クスコに到着した私たちは、さっそく旅行会社をまわってみた。どの旅行会社でも「インカ道トレッキング」を看板に掲げているものの、尋ねてみれば「んー、8月まで無理だねー」のひとこと。代わりに勧められるのはどの旅行会社でも同じだった。このあたり一帯に広がるビルカバンバ山群の最高峰、サルカンタイ山Nevado Salkantay(ネバード・サルカンタイ:6,271メートル)のふもとを歩いてマチュピチュを目指す、4泊5日のトレッキングである。この山は、インカ道トレッキング2日目のハイライトにもなっている山だ。

おおまかなルート図を見せてもらうと、サルカンタイ山をはさんでちょうど反対側にインカ道が走っている。サルカンタイルートはマチュピチュまでずいぶん大回りをしているが、何より私たちが惹かれるものがそこにはあった。「氷河」だ。パタゴニアで氷河としばしのお別れをしたはずの私たちだったが、氷河に会えると聞いてはいてもたってもいられない。「オレはこっちの方がええわー」淳ちゃんが言う。そうだ。遠くから一部を眺めるよりも、まさに氷河のふもとを歩けるこのコースの方が私たち向きなんじゃない? 私もそう感じていた。

そうと決まったらさっそく出発だ。私たちはサルカンタイルートでマチュピチュを目指すことにした。



■スタート地点モリェパータ

サルカンタイへ向かう朝がやってきた。当日は4時30分ホテルピックアップ。だが集合場所であるサン・フランシスコ広場をバスが発車したのは2時間後の6時30分だった。ずいぶんのんびりしたツアーである。バスはクスコの町を抜けると、谷に広がるのどかな集落をいくつか過ぎていく。日が昇って少しずつ車内が暖かくなってきた。すっかり眠ってしまったのだろう。気がついたらモリェパータの集落に入っていた。

モリェパータにはすでに多くのトレッカーがいた。ツアーに参加せず、自分たちの力で歩こうという旅行者たちだ。そのほとんどは、節約家で自立心旺盛なイスラエル人旅行者である。そうか、インカトレイルじゃないから自分たちでも歩けたのか……インカ道トレッキング以外何の情報も持っていなかった私たちは、少し残念な気持ちになる。私たちだってできればツアーに参加せず自分たちの力で歩いてみたい。好きな場所でのんびり立ち止まることができるし、速いペースで歩く必要もないから気楽じゃないかと思う。

だが、私たちはこのトレイルに関する情報を何も持っていない。地元の人と何やらロバのレンタルについて交渉しているイスラエル人のようには、できそうもなかった。どうしてロバがいるのか。ロバはどうやって借りるのか。借りたロバはどうするのか。何もかも知らない。このルートの地図ですらクスコには売っていなかった。この時期たくさんのツアー客が歩いているから、だいたいのルートさえ知っていれば歩ける、という人もいる。だが、私たちにはそこまでして歩くことはできなかった。ここはおとなしくツアーに参加するのが得策である。

いまだ商談のまとまらないイスラエル人を横目に、私たち一行は歩き始めた。ツアーメンバーは私たちを含めて全部で9人。それにガイドのホセと2人のアシスタント、コックに馬追いなど、いったい全部で何人いるのか。ずいぶん大所帯である。

このトレッキングでは、荷物を馬やロバに積むことができる。メンバーの中には歩く時は水筒しか持っていないという人もいるくらいだ。いつもより数段少ない荷物で何だか落ち着かなかった私たちも、あっという間にそのラクチンさに慣れてしまう。食事も座って待っているだけでいい。早く到着して準備をしていたコックが、手のこんだあたたかい料理を出してくれるのだ。「いやー、ツアーもなかなかラクでええよなー。メンバーもええやつばっかりやしな」淳ちゃんもさっそくごきげんである。このあたりの標高は3,000メートルちょっと。熱帯性の植物もたくさん見られ、むしろ暑いくらいの日差しの下、私たちはサルカンタイ山のふもとへ向かって進んでいった。



■初めての高山病

トレイルはゆっくり標高を上げている。今日のキャンプ地ソライ・パンパSorayPampaの標高は3,900メートル。富士山よりも高い場所……と思うと心配になるが、クスコの標高は約3,400メートル。1日で上がってきても問題ない高度差なのだ。クスコまでも3,500メートル付近を1ヶ月近く移動してきている。3,900メートルという標高は初めてだが、それほど心配しなくていいだろうと思っていた。

ソライ・パンパに着いたのは17時。日暮れまでまだ1時間ほどあるが、谷の奥の底にいるので太陽はずいぶん前に姿を隠してしまっていた。冷たい風が頬をたたき始める。今日の夜はきっと寒いだろう。

テント設営を終えると「ティータイム」になった。ガイドのホセが全員にコカ茶を入れてくれる。私たちは食事用の暖かいテントの中でゲームに興じたり、ホセから明日の峠越えに関する注意を受けたりして夕食までの時間を過ごした。夕方から高山病の兆候を見せてつらそうだったリジィも調子が戻ってきたようだ。

そのうち、私の胃がドーンともたれるようになってきた。ティータイムに出されたポップコーンがいけなかったのだろうか。胃はあっという間にどんどん膨らみ、まるで風船をお腹に入れたカエルの気分になってしまった。手を当ててみると、胃が膨らんでいるのがわかる。標高が高いせいで消化不良をおこしているのだろう……体が慣れるまで耐えるしかなさそうだ。

だが胃の膨満感は治まるどころか、さらにひどくなってきた。せっかく出された夕食もまったく食べることができない。普段食欲が無くなることが少ない私は、これだけで不安に感じてしまう。

えーい、こうなったら吐いてしまえ! そう思ってテントの外に出てみる。見上げれば満天の星空。南十字星はどこかなー、なんて探す余裕も、今はちょっとない。ラクになりたい一心で指を口に突っ込み続ける。気分は輪をかけて悪くなるのに、なぜだかまったく吐けそうにない。あきらめてテントに戻った頃には、すっかり体が冷え切ってしまっていた。関節が熱を持ち始めたのがわかる。この震えは発熱の悪寒に違いない。

まずいことになったなあ……と思いつつ、いったいどうしてこんな状態になってしまったのか検討もつかない。高度のせいだろう、考えられるのはそれだけだ。とにかく明日の朝まで耐えるしかない。この後どうするかは、明日の朝に考えればいいだろう。パンパンに膨れあがった胃のせいで、私は長くて大きい深呼吸を繰り返しながら寝袋にくるまるしかなかった。隣では淳ちゃんが何度も寝返りを打っている。私がこんな状態では眠れるはずもないだろう。

見かねた淳ちゃんが深夜、ガイドのホセのテントまで行き薬をもらってきてくれた。ラクになるだろうか……残念ながら薬はなかなか効いてこなかった。



■救世主あらわる

ようやく夜が明けた。長い夜だった。目の前に立ちふさがるサルカンタイ山には陽が当たっているが、私たちのテントを暖めてくれるまでには、まだずいぶん時間がかかるようだ。ガイドのホセがお茶を持って起こしにきてくれる。私の様子を気遣ってくれるが、残念ながらトレッキングは続けられそうになかった。町に戻るつもりだ、と話してみる。

昨日の夕方から調子が悪かったリジィもつらい夜を過ごしたようだ。酸素ボンベも使ってみたが、良くならなかったらしい。彼女も町へ帰ることになった、とホセが話してくれた。

隣の淳ちゃんは、心配してくれているのはもちろんだが、やっぱり残念そうである。そりゃあそうだ。目の前には堂々と氷河をたたえるサルカンタイ山。トレッキングは始まったばかり。もちろん高いお金も払っている。リジィもいることだし私はひとりでクスコに戻ろう、淳ちゃんは反対していたがそのつもりだった。胃はあいかわらずパンパンに膨れている。

しばらくするとホセがお医者さんを連れてきてくれた。たまたま近くのキャンプ地に休暇で来ていた女医さんだという。昨夜からの状況を淳ちゃんが話してくれる。よくよく考えたら、自分の症状を伝える英語もスペイン語も私は大して知らなかったのだ。

昨夜ホセからもらった薬と明け方自分で飲んだ鎮痛薬の種類を、お医者さんに話してみる。「ダメダメ、それじゃあ余計悪くなるわ」彼女はジップロックに入れた持参の薬をごそごそ探り始めた。「この薬を飲みなさい。胃の張りも治まるし、この鎮痛薬なら胃が悪くても飲むことができるわ。大丈夫。夕方、次のキャンプ地で会いましょうね」明るく笑い、彼女は去っていった。

彼女いわく、私の症状は高山病ではないそうだ。だが、標高の高い場所では、胃の膨満感というのはよくあることらしい。彼女の持ってきていた薬の種類の多さから、いかに私たちは知識のないまま高所にやってきたかを思い知らされる。とにかく薬が効いてくれれば……さっきまではクスコに帰るつもりだったが、お医者さんの「大丈夫」という言葉を聞くと、何だかトレッキングが続けられるんじゃないかという気になっていた。だが、この胃の状態では歩くのも困難だ。薬が効いてくれないことにはどうしようもない。

他のメンバーも風邪をひいたり、昨日の疲れが残っていたり……としんどそうな顔が多い。7時の出発は1時間遅らせ、8時になっていた。



■次の救世主は馬

出発の時間がやってきた。薬は徐々に効いてきている。このまま歩いてみようか……そんな気分になっていた。クスコに戻るにしてもモリェパータまで1日歩かないといけない。だったら今日のキャンプ地まで歩いても同じじゃないか、という気になっていたのだ。

だが今日は、コース中最も厳しい峠越えがある日だ。サルカンタイ山のふもとを通るサルカンタイ峠Paso Salkantay(パソ・サルカンタイ)の標高は、4,650メートル。このソライ・パンパから約750メートル登り、今日のキャンプ地となるコルパ・パンパColpa Pampaまで1,750メートルを一気に下る。この行程が厳しいのかどうかも自分では判断がつかない。さっき女医さんが私に言った「次のキャンプ地で会いましょうね」というひと言、ただそれだけが頼りだった。彼女は私がコルパ・パンパまで行けると思っている。今、自分では峠越えなんてできるはずがないと思っているが、意外に歩けるのかもしれない。

私はリタイヤせずにトレッキングを続けることにした。リジィは馬に乗せられ、ひとりの馬追いと一緒にモリェパータまで帰っていった。メンバーはどんどん先を行く。私は思ったより足が前に出ず、すでにずいぶん遅れを取っていた。

突然、気分が悪くなってきた。昨夜あんなに気持ちが悪くても吐けなかったが、試しにもう一度指を突っ込んでみる。立て続けに3度、私は道ばたに激しく吐いてしまった。慌てて戻ってきた淳ちゃんが私の背中をさする。余計気持ちが悪くなって、さらにもう一度吐いてしまった。

相当飲み過ぎた時ぐらいしか吐いた経験が無いので、ぐったり疲れてしまう。だが気分はすっきり良くなっている。胃の膨満感も治まっている。道ばたを見ると胃の中のものはまったく消化されていなかった。しんどいはずだ。

これで調子が良くなるだろう、と私はふたたび歩き始める。ところが30分もしないうちに、さらに調子が悪くなってきた。足が前に出ない。歩いてもすぐに座り込んでしまう。気合いでカバーできそうなことだが、足が思うように動かないのだ。先を行くメンバーの姿も見えなくなってしまっていた。

私の状態を後ろからずっと見守っていてくれたサブガイドのマルコが、追いついてきたコック隊のひとりと何やら話をしている。どうやら馬を1頭空けられないか、と言ってくれているようなのだ。「1日20ソル(約700円)追加でかかるけれど、乗っていったらどうだろう」そうマルコは淳ちゃんに話してくれたようだ。私たちはその好意をありがたくいただくことにした。この状態では今から始まる登りはかなり厳しいはずだ。そのあとの長い下りもこなせそうにない。今から戻るのも現実的ではない。馬に乗せてもらってコルパ・パンパまで行くのが一番だろう。



■コルパ・パンパにたどり着く

馬にまたがるとマルコが馬を引いて歩き出した。馬に乗っているとあまり感じないのだが、他のトレッカーをどんどん追い抜いて行くところを見るとずいぶん速いペースなのだろう。淳ちゃんは無言でついてきている。高山病にならなければいいけれど……だんだん余裕が出てきたのか、淳ちゃんの心配ができるようになってきていた。

先を歩いていたメンバーを次々に追い抜き、12時過ぎに峠にたどり着いた。ガイドのホセが私たちをハグで迎えてくれる。ここが最高所、4,650メートルのサルカンタイ峠だ。私たちにとって初めての高度。そして南緯約13度に広がるダイナミックな氷河。「やっぱり氷河はええなあーーー!」感慨深げに淳ちゃんが近寄ってくる。さっきまでひとりで泣いていたと言う。ずいぶん心配をかけてしまった。マルコのハイペースについて峠を登ってくるのもキツかっただろう。

お守りだったコカの葉をケルンに供え、記念撮影をし私たちは下り始めた。やっぱりマルコはハイペースで下りていく。ここまで自力で上がってきたメンバーはまだまだずっと後ろだ。雨が降り始めたが、マルコのペースは落ちない。淳ちゃんも黙々と歩いている。昼食から3時間。馬に乗りっぱなしなので休憩したいのだが、そんな雰囲気でもなかった。

ようやくコルパ・パンパに着いたのは18時を過ぎていた。日が暮れて真っ暗になる少し前。ギリギリである。メンバーのほとんどは、それからさらに1時間後の19時過ぎ、コルパ・パンパに到着した。全員ぐったりである。私の胃は3,500メートルを過ぎるころからすっかり快調になり、コルパ・パンパに着いた頃には普通の状態に戻っていた。

キャンプ地にはあの女医さんがいた。私が馬に乗っているのを見つけ「何があったの!」と驚いたところを見ると、私の状態がそこまで悪いとは思っていなかったようだ。とにもかくにも、たどり着けてよかった。淳ちゃんはさっきからその言葉ばかりを繰り返している。



■いよいよマチュピチュへ

5日目の朝がやってきた。いよいよマチュピチュ遺跡にたどり着く日だ。コルパ・パンパのあと、遺跡の玄関口アグアス・カリエンテスまでの2日間は、バスや列車を使いながら進んできた。私の体調も日を追うごとに良くなっていた。

インカ道トレッキングなら、歩いてきた道そのものが遺跡につながる道なのだから、たどり着いた時の感動も大きいだろう。私たちの場合は、クスコとは逆の方向からアグアスカリエンテスまで列車に乗ってきているので、ワンクッション置かれた気分だ。それでも、マチュピチュ遺跡には歩いて入りたいと思っている。一般的な観光客は、アグアス・カリエンテスから20分間バスに乗って約400メートルの標高差を上がってくる。徒歩で上がれば約2時間。私たちはもちろん歩いてマチュピチュに向かうつもりだった。

前日の晩のことだ。マチュピチュ観光はさらにプロフェッショナルなガイドににまかせる、とガイドのホセが別の男性を連れてきた。明日は彼がマチュピチュを案内してくれるという。軽い挨拶を済ませたあと、明日の集合時間についての話になった。「明日は6時30分からバスが動いているので、そのバスに乗ってください。遺跡のエントランスで7時に待ち合わせましょう」。

だが誰もバスで上がるつもりはなかった。数日前にも、宿泊をテントか安宿か選べる日があったのだが、全員迷わずテント泊を選んだことがあった。今回のツアーメンバーはあまり安易な方法を取ろうとしない。自分たちが楽しめるスタイル、というのをよくわかっているのだ。結局クスコからふたたび合流したリジィ以外の全員が、歩いてマチュピチュまで上がることになった。ガイドもホセも「しんどいから絶対バスで上がった方がいい」と言うが、私たちは相手にしなかった。

アグアス・カリエンテスから遺跡のエントランスまでは約2時間。7時の集合に遅れないように、私たちは4時30分に宿を出た。トレイルは13回カーブしている車道を突っ切るように伸びている。山の中腹にさしかかるころには、ずいぶん明るくなってきていた。エントランスに着いたのは6時過ぎ。ゲートからも、遺跡の後方にそびえるワイナ・ピチュHuayna Pichuの一部が見える。

アグアス・カリエンテスからのバスはまだ動いていないから、ガイドが来るのはもっと後だ。朝もやのかかるマチュピチュを見ることを楽しみにきたメンバーも多い。だがワイナ・ピチュにかかった朝もやはどんどん晴れてきてしまっている。マチュピチュの入場料はツアー会社に支払い済みだ。自分たちだけ先に遺跡に入ろうとしても、支払い済みの入場料20USドルがパーになってしまうのは惜しすぎる。私たちは何とも悔しい気持ちでガイドが来るのを待つことになった。

ガイドは時間通りに現れた。その頃にはエントランスゲートは長蛇の列。私たちはさらに待たされることになった。おまけに私たちと同じころにたどり着いた観光客によると、バスは6時前から動いていたという。ホセやガイドの言うことを一部ははっきり拒否し、一部は信用し過ぎたせいだろうか。せっかくのマチュピチュ観光も残念なスタートになってしまった。



■マチュピチュ観光は大成功

だが、私たちは「マチュピチュ観光」というイベントをものすごく楽しむことができた。いつものパターン通り、しんどい思いをしただけにより思い出深くなった点は否めない。だが、マチュピチュ遺跡自体もなかなか魅力ある場所だったと思う。発見者ハイラム・ビンガムHiram Binghamの気分が味わえる遺跡までのトレイル。朝日によってどんどん色を変える石組み。地理的奇特さが実感できるワイナ・ピチュからの眺め。自分の足で歩き回ることができるせいだろうか。私たちのようにマチュピチュ遺跡に関する知識を多く持たないものでも、マチュピチュは十分楽しめる場所だった。

列車で往復していたらどう感じただろう。今となってはわからないが、インカ道というロマンがなくても、5日間自分で歩いてたどり着いたマチュピチュの方が何倍も楽しめただろうな、ということは間違いない。

おまけにこのトレッキングは、このあとの私たちにとってかなり重要な経験になったのだ。旅は予測がつかないことばかり。だが無駄なことは、きっとひとつもないのだ。







▼サルカンタイトレッキングのツアーについて

旅行会社はアルマス広場西のPlateros通りに多く並んでいました。インカ道トレッキング、サルカンタイトレッキングともに値段設定は各社バラバラ。その中で私たちは比較的ボトムの料金になると思われる価格の会社を選びました。この会社はホテルの客引きの青年が仲介しているところ。だいたいの旅行会社をまわった後、大差ないと判断したので彼に申し込みました。

Viaje y Servicios Multiples JQF E.R.R.Ltda
ひとり170USドル
含まれるもの:1日目ホテルまでのピックアップ、モリェーパタまでのバス、英語ガイド、コック、調理道具、食事(朝4昼4夜4)、ティータイム、ポーター、キャンプ用品(テント、マット、、食事&調理テント、テーブル、スタッフのテントや寝袋)、救急道具と緊急用酸素ボトル、帰路クスコまでの列車、マチュピチュ入場料(学生料金)
含まれないもの:5日目の昼食、寝袋、ポーターとガイドへのチップ


終わってみて本当に大差なかったかというと、ちょっと疑問。私たちのツアーガイドはお世辞にも「いいガイド」とは呼べないスキルでした。途中のホテルの手配、列車の手配も手落ちばかり。最後にはメンバーのアメリカ人女性2名はブチ切れてしまいました。こういったツアーの質の悪さは他の旅行会社でもあることかもしれませんが、気を付けたいのが緊急時の対応。よくよく見ると、エマージェンシーグッズの中に「ラジオ(無線)」を入れている旅行会社と入れていない旅行会社がありました。サルカンタイトレッキングのような4,600メートルもの高所にあがる場合、緊急時に通信手段を持っていた方が安心ではないかな、と思います。緊急用にあらかじめ余分の馬をつけている、という旅行会社もありました。高山病に関する知識も持っていた方が安心。ガイドはあまり深刻にとらえていないかもしれません。薬についての知識も怪しいもの。そういった不安をすべてカバーするとなると、きちんとトレーニングされたスキルの高いガイドがいそうな、高くて名の通った旅行会社で申し込んだ方がいいかなとも思います。説明を聞いてしっかりしているなあと思った会社の中には300USドル以上したところもありましたが……。値段はわかりませんが、トレッキング中などに見かけてしっかりしているなあと思ったのは「SAS Travel Peru (http://www.sastravelperu.com/)」。せっかくのマチュピチュ。値段だけで決めずによく検討されることをオススメします。






 
プーノ クスコ 列車
プーノからクスコへ向かう列車から。ボリビアでは地元の人と一緒の列車に乗ることができましたが、ペルーに入ってからはパッキリと分けられることに。ペルー自体の物価は安いのですが、こういった観光客相手のものは一気に値段が跳ね上がります。この値段設定といい観光客を隔離してしまうようなやり方といい、ペルー政府が押しつけてくる観光スタイルにはちょっと閉口気味でした。

 
ラ・ラヤ駅 La Raya 列車
最高所であるラ・ラヤLa Raya駅。標高4,319メートルもあります。列車はここに10分ほど停車します。物売りから昼食を買えると思っていてアテが外れた私たちは、ここで何とかおやつをゲット。13時30分でした。おみやげ物に混じってお菓子やエンパナーダ(ミートパイ)やソフトドリンクが売っています。

アルパカ
ラ・ラヤで楽しみにしていたのがアルパカとの記念撮影。リャマは多くいますがアルパカにはなかなか会えません。もちろん彼女にはチップが必要ですが、このレアさとアルパカの顔のおかしさに納得。

 
クスコ リャマ
一方これはクスコ市内。市内を歩いていると「シャシン、トッテクダサーイ」と声をかけてきます。残念ながらこれはたぶんリャマということ。サン・クリストバル教会にて。

 
クスコ アルマス広場
クスコの中心部アルマス広場周辺。瓦屋根の家がびっしり並んでいます。かつてインカの首都だったクスコ。スペイン人は目につくすべての黄金を持ち去ってインカの神殿を破壊し、その土台を利用してこの都を造ったといいます。そんな経緯があったものの、クスコは美しい町でした。人々の誇りが今なお生きている町なんでしょうね。

インカ帝国 12角の石
スペイン人もその土台を利用したように、インカの人々の石組み技術は素晴らしかったといいます。カミソリの刃1枚すら通さない、とも称されたとか。中でもロレト通りCalle Loretoに残る石組み「12角の石」は有名。4辺で済むところをなぜあえて12角にしたのか、王族の数とあわせているとか1年の各月を現しているとかいろんな説があるそうです。今ではすっかり観光地化。インカ王に扮した男性が写真撮影用に立っていたりして、笑えます。右に写っているのが営業中のインカの王。

 
ペルー サルカンタイトレッキング モリェパータ
サルカンタイトレッキングのスタート地点モリェパータ。のんびりした町ですが、この時期この時間はトレッカーでにぎわっているようです。ここで朝ごはんを食べて、いよいよスタート。

 
サルカンタイトレッキング
1日目の休憩ポイントにて。ソライ・パンパまでは、こういった段々畑が広がる谷の間を進んでいきます。気持ちのいい日でした。

ソライ・パンパ サルカンタイ山
ソライ・パンパから眺めたサルカンタイ山の夕景。明日はあの脇を抜けていきます。

サルカンタイ山 キャンプ
キャンプ地はこんな様子。サルカンタイ山の氷河が後退したあとがはっきり地形に現れていますね。私たちが寝ていたのは手前左側のテント。4人用だったので広々使えました。実際は胃の膨満感がキツくてそれどころじゃなかったんですけれど。

 
サルカンタイ・パンパSalkantay Pampa
2日目歩き始めたところ。ソライ・パンパのもうひとつ上サルカンタイ・パンパSalkantay Pampaかと思われます。しんどそう。

 
サルカンタイ
吐いてスッキリしたはずが、さらに調子悪くなったあたり。ホンマにしんどそうですが、バックに広がる谷は美しいです。

 
 
サルカンタイ トレッキング 馬
マルコ(写真左)の計らいで馬に乗せてもらったところ。山岳地帯を行く馬だからなのか、ずんぐりむっくりの小さめな馬でした。

 
サルカンタイ トレッキング 馬
馬に揺られて進みます。もうすぐ峠に差しかかるところ。左の斜面を上がっていきます。

サルカンタイ トレッキング 馬
最高所4,650メートルのサルカンタイ峠にて感激の記念撮影。私たちの後ろに積まれたケルンは地元ケチュアの人々のおまじない。コカの葉3枚を用意し、峠を越す前に願いをかけながら大切に手元に置いておきます。無事峠まで来ることができたらそのコカの葉をこのケルンの中に供えて行くのだとか。淳ちゃんは途中でコカの葉を食べてしまい、ガイドのホセに怒られていました。

サルカンタイ山 トレッキング 馬
峠から振り返ったサルカンタイ山。次々現れては消える雲をまとって幻想的な姿を見せています。斜面には踊るような氷河!1ヶ月半ぶりくらいの氷河ご対面です。

サルカンタイ トレッキング コルパ・パンパ
一気に標高2,900メートルのコルパ・パンパまで下ります。峠を越えたあたりから雲が増えてきました。馬に乗ったまま動いていないので、かなり冷えます。

サルカンタイ トレッキング コルパ・パンパ
無事コルパ・パンパまでたどり着いて3日目の朝を迎えました。このあたりの谷には、斜面の途中にちょうどバルコニー状になった台地がよく見られます。そんな場所をパンパと呼んで古くから住居などに利用したようです。

マチュピチュ プラヤ サンタ・テレッサ
3日目はプラヤという場所まで歩いたあと、乗り合いトラックを利用してサンタ・テレッサという集落へ向かいました。地元の人もどんどん乗り込んできてギュウギュウな車内でしたが、女性には席を作ってくれました。右からマリア、レベッカ、ハナ。

サルカンタイ サンタ・テレッサ
3日目の宿泊地サンタ・テレッサ。10年ほど前大洪水がこの村を襲ったそうで、鉄道も含めてすべて流されてしまったそうです。古い村はこの写真右手、ちょうどグランドの奥の部分にあったそうです。現在は安全な高台に村を移しています。かつての集落跡には現在学校が建てられています。

マチュピチュ ゴンドラ
洪水のせいでいまだ近くの鉄道駅に行くための橋もありません。人々の足はなんとブランコ。荷物がなければ3人ぐらい乗れるようです。このブランコがどうなるかと言うと……。

マチュピチュ ゴンドラ
ひぇー。こんなことになります。これがなかなか恐い!反対側へ渡ったあとは次の人がブランコをたぐり寄せないといけません。これもなかなか大変な作業。学校帰りの女の子が慣れた手つきで乗っていましたが、ひとりの時はどうするんでしょうね。

マチュピチュ イドロエレクトリカ駅
ブランコで川の向こう側に渡ったあとは、ふたたび乗り合いトラックに乗り、最寄りの鉄道駅イドロエレクトリカHidoroele'ctricaまで行きました。ここから約1時間列車に乗ってアグアス・カリエンテスに向かいます。まるで行き止まりのように見える地形ですが、このあと列車はスイッチ・バック方式で山の中腹まで登り右手にある細い谷の間へ入っていったのでした。

マチュピチュ遺跡
マチュピチュ遺跡のエントランスの様子。せっかく早く着いたのに入場できなくて、がっかりしているところ。右手にはワイナ・ピチュの頭が見えています。

マチュピチュ
わー!マチュピチュです。誰が撮ってもどこから撮っても「ザ・マチュピチュ」になりますね。朝もやのかかる幻想的な姿も見たかったけど、しゃーない……。

マチュピチュ 段々畑
美しい段々畑。1万人もの人がこの周辺で暮らしていたそうです。この地で作られていた作物もなんと200種以上というから驚きです。現在はとてもよく手入れされた芝生になっています。これを見つけたハイラム・ビンガムもさぞかし驚いただろうなあと思います。

ワイナ・ピチュ
遺跡の背後にそびえるワイナ・ピチュ(若い峰という意味だそう。ちなみにマチュピチュは老いた峰という意味)にも登ってみました。深い渓谷と険しい山々のなかにポツンと現れるマチュピチュの様子がよくわかります。左手に蛇行しているのがアグアス・カリエンテスから上がってくるバスの車道。実は個人的にはワイナ・ピチュヘ登るよりインティプンク側から眺めた方がよかったんじゃないか、と思っています。

マチュピチュ リャマ
遺跡内にはリャマが放し飼いにされています。わがもの顔で遺跡内を闊歩するリャマ。鼻水をブシュッとかけて攻撃してくるところなどラクダ科らしいふるまいかも。




▼PART40 2005.08.11 世界一美しい山を見に行こう[出発まで] 〜ペルー ブランカ山群その1
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