■どこからウユニへ入ればいい?
さて。パタゴニアの旅がやっと終わって、次の目的地と言えばもちろん、ペルーやボリビアだろう。「南米」と聞いてイメージするのは、これらの国の方が印象が強いはずだ。
世界最大の塩湖・ウユニ、世界最高所の首都ラ・パス、昔ながらの風習が残るチチカカ湖、そしてインカの都クスコにマチュピチュ……見どころはたくさんある。「観光」しがいのある場所がこれから先、めじろ押しなのだ。
だが私たちはちょっと自信がなかった。パタゴニア旅行のあと、これらの観光地を巡って、楽しめるのかどうか、実は自信が持てないでいた。これは旅慣れた友人にも指摘されていたことだ。長期旅行をしているとぶち当たる壁なのか。仕事の合間に短い休みを駆使して旅する人にとっては、贅沢な悩みだと見えるだろう。
それほどパタゴニアの衝撃が大きかった。そしてトレッキング三昧な旅を続けていた私たちにとって、果たして都市部を中心とした「観光」ができるのか。自信が持てなかったのだ。日本を出る時にはあれほど「世界中を観光したい!」と言っていたはずなのに、この変わりようと言ったらない。
でも「見ない」で通りすぎるには、ちょっともったいない……。
とまぁ、パタゴニアから先のペルー・ボリビアの旅は、こんな風にややセコイ計算から始まった。でも「見る!」と決めたからには楽しみたいものだ。そこで私たちは、パタゴニアの旅ではまったく決めることの無かった予定を立てることにした。この旅では、だらだらと予定変更をせず、行くと決めたところだけ予定通りに訪れることにする。だらっと過ごしてしまうと、自己嫌悪におちいるからだ。目的地も厳選する。いわゆる旅行者のゴールデンルートを通ることにした。ひとつだけ違うのは、彼らの多くは南下するのに、私たちは北上するということだ。
南米の旅の一般的なルートはペルーのリマかエクアドルのキトあたりから南下を始めて、アンデス高地を通りチリに抜けるかアルゼンチンに抜けていくパターンではないだろうか。私たちは先にパタゴニアをまわってしまっていたので、一般的なルートを逆に進むことになる。だが、逆まわりなだけであって特に大きな問題はないだろう、と考えていた。
そんな甘さが、アンデス高地の旅のスタートをハードなものにしてしまった。
私たちが最初の目的地にしたのはボリビア南部に広がるウユニ塩湖だ。ここはチリ、アルゼンチン両側からアクセスが可能だ。チリ側の最寄りの町、サン・ペドロ・デ・アタカマからは見どころをまわってウユニへ抜けるツアーも用意されていて、なかなか人気のようだ。だがこのツアーは3泊4日で80USドル近くすると言う。予定外のところへ行かない、と決めている私たちにとってこれは余分なものが多いツアーだ。結局ツアーを使ってウユニへ抜けることはやめにした。
あとはチリ側から公共交通機関を使ってウユニへ抜けるか、アルゼンチン側から抜けるかどちらかだ。北上スタート地点はチリのサンティアゴ。それならチリ側を北上できるところまで上がり、そこからアンデス越えをしてボリビア・ウユニへ入ろう!という言うことになった。チリ北部、カラマという町からウユニへバスが出ているようだ。
カラマ行きのバスのチケットをサンティアゴのバスターミナルに買いに出かけた。ところが聞いた相手が悪かった。ブースの中のセニョールは「ここからカラマ行きは無いからイキケ行きに乗れ」と言う。イキケはカラマからさらに北に上がった海岸沿いの町だ。交通手段ひとつとってもいくつもの選択肢が無いパタゴニアでは「無い」と言ったら本当に「無い」はずなのだが、ここサンティアゴでは事情が違うのもすっかり忘れていた。ボケボケの私たちは、セニョールの言うとおり、イキケ行きのバスのチケットを買った。セニョールは「イキケからウユニへバスが出ている」とも言っていた。それなら大丈夫やなぁ、とのんきに宿に帰った私たちだった。
朝サンティアゴを出たバスは丸1日かけて1,800キロ離れたイキケにたどり着いた。パン・アメリカン・ハイウェイを使えばこんな距離でも1日で動けてしまう。バスターミナルでボリビア・ウユニへ抜ける国際バスを探す。だが、そんなバスはひとつも見あたらない。やられた……。サンティアゴのあのセニョールに、まんまと騙されたのだ。私たちは北上する必要のない場所まで上がってきてしまったらしい。しかたがないので、他のバスを探す。どうやら、ここイキケからボリビアへ抜ける国際バスは、ウユニからさらに北にあるオルーロ行きになるようだ。カラマまで再び南下する方法もあるようだが、カラマからウユニへは雪のせいで峠越えができない状況だと言う。いったいどこまでが正しい情報なんだかわかったもんではないが、とにかく進まなくてはいけない。私たちはオルーロ行きの国際バスに乗ることにした。
バスはどんどん高度を上げてボッコボコの道を爆走する。オルーロへは20時ごろには着くだろうと言われていた。が、国境を越えたあといつの間にか寝てしまったようだ。どやどやと人のざわめきで目が覚め、終点のオルーロだとわかったのは24時前だった。あたりは真っ暗。これはやばいところに来たぞ……。気を引き締めないと危ないな、という場所にいることを久しぶりに思い出す。ここはボリビアだ。
バスが止まったそのすぐ前にあるビジネスホテル風の玄関に駆け込んだ。少し予算オーバーだったが、暗闇の中を動き回るよりましだ。明日、明るくなってから次の予定を考えたらいい。そうして私たちはさっさとベッドに潜り込んだ。乾期のボリビアは冷えると聞いていたが、本当に寒い。毛布だけでは暖まらず、シュラフを引っ張り出して潜り込んだ。
■ウユニはまだまだ遠かった
翌朝、目が覚める。ずぅーん、と頭が痛い。ここオルーロは標高3,700メートル。昨日の朝バスを乗り換えたイキケは海岸沿いの標高ゼロメートル。軽い高山病が出ても当然の標高差である。ぅぅぅ……。となりのベッドでは淳ちゃんが苦しそうな声を出している。グアテマラ・タフムルコ登山で苦しい高山病を経験している淳ちゃんは高地をめちゃくちゃおそれていたのだが、やはり今回もしんどいようだ。
高山病は、高地に上がった時にからだが低気圧、低酸素に順応できずにおこる様々な症状を指す。だいたいが頭痛や吐き気、腹部膨満感が主な症状らしいが、重症化すると肺水腫になったり脳浮腫になったりしてひどい場合は死亡することもあるというからなめてはいけない。低酸素への順応というと血液内のヘモグロビンの量によるのかとも思うが、一概にそうとも言えないらしく、「個人差」と言われることが多い。実際、いつも元気で心肺機能も高そうな淳ちゃんが高地で不調を訴えるのだから、よくわからないのだ。
高地に到着してすぐ活発に動いた人ほど、あとになって高山病の症状を訴えると言う。だが、高地についてすぐ眠ってしまうと呼吸数が落ちてこれまたよくないらしい。じゃあどうしたら良いのかというと、高地に着いたら半日ぐらい横にならずに腰をかけて本でも読んでいるのが一番らしい。ふたりを襲っている強烈な頭痛も、起床時が一番ひどいと言うからゆっくりしていれば直るだろう。私たちはフロントで、高山病に効く薬というのを教えてもらい、朝食を取りに外へ出た。昨日は真っ暗で何も無いように見えたが、実はここ、バスターミナルの前だった。絞りたてジュースの屋台やフライドチキンの屋台がずらりと並んでいる。
軽く朝食を取り、高山病の薬を飲み、深呼吸をしながら私たちは昼過ぎまで部屋でおとなしくしていた。私の頭痛はほとんど治まっていた。「そろそろお腹も空いてきたしちょっと出かける?」これまた頭痛が和らいできた淳ちゃんがそろそろと動き始める。外の屋台でい〜い匂いを振りまいているフライドチキンが食べたくなってきたのだ。
「明日にはウユニ行きのバスに乗れそうやなー」フライドチキンをほおばりながら私たちはのんきにひなたぼっこをしていた。オルーロからウユニへはバスで8時間。どのバスも夜の8時発だ。「ボリビアの夜行バスには乗らない方がいいよ!」とアドバイスをもらっていたが、仕方がない。もともとイキケに行ってしまったことがいけなかったのだ。だが、ウユニまで行ってしまえばあとは予定通り。この回り道も大したこと無いと思っていた。
状況が変わったのはその日の夜からだった。淳ちゃんの様子がおかしい。夕食は何とか食べることができたものの、頭痛もどんどんひどくなってきているらしい。苦しそうにベッドに横になったまま動かなくなってしまった。
そして明け方。トイレに行く物音で目が覚めた。どうやら吐いてしまったらしい。これでタフムルコ登山の時とまったく状況が同じになってしまった。おまけに「おれ、息してないみたいやねん」なんて恐いことを言い出す淳ちゃん。息苦しくて目が覚めると、息をしていなかった自分に気づく、と言うのだ。
頭痛が良くならなかったらスクレという町にでも行って高度を下げようかー、などと昨日はのんきなことを言っていた。だがスクレまではバスで11時間。淳ちゃんの様子を見ているとそんな悠長なことも言っていられなかった。一番近くて標高の低い場所は、標高2,560メートルのコチャバンバ。オルーロからは230キロ、バスで4時間30分の距離にある。淳ちゃんにとってはこの移動すら厳しいだろうがこれが今できるベストだ。バスが動き始めたらすぐにコチャバンバへ向かうことにした。
バスは何本も出ていた。急いで荷物をまとめてギリギリ8時30分発のバスに乗り込む。ホテルからバスターミナルまでは道を1本渡るだけなのだが、ふらふらと真っ白な顔をして歩く淳ちゃんは今にも倒れそうだった。こんな顔色、見たことないから写真でも撮っておきたいなあ……と不謹慎なことが頭をよぎったが、やはりこの状況では写真など撮れるわけもなかった。
バスは高度を下げずさらに山を登っていった。よせばいいのに淳ちゃんは高度計をチラチラと何度も眺めている。最高4,500メートル地点まで登ったあと、バスは徐々に赤茶けた山を下り始めた。13時前、コチャバンバに着く。むぅっと熱い空気が標高の低さを感じさせてくれる。となりの淳ちゃんを見ると、普通の顔色に戻っていた。よかった……。
あとから色々調べてみてわかったことなのだが、高山病を引き起こしやすいのは特に2,500メートル以上の高度に上がった場合のようだ。そして理想的なのは1日600メートル程度の上昇に留めておくこと。3,000メートル以上の高地に向かうには、いったん2,500メートル程度の場所で高度馴化するのが一番いいらしい。だが、チリ側から上がるにしてもアルゼンチン側から上がるにしても2000メートル程度の町はいくつかあるものの、2,500メートル程度という理想的な町はなかなか見つからない。私たちのようにデリケートに高度馴化しないと厳しい体質にとっては、かなり慎重に慎重に目的地&ルートを考える必要があったようだ。
■いざ、ウユニへ!
ボリビア第3の都市であるコチャバンバで数日過ごしてすっかり元気になった淳ちゃん。「そろそろ上がってみようか……」と言い始めた。高山病予防のセオリーから行くと次の理想的な目的地は標高3,100メートル程度の場所。だがそんなうまい具合に町があってくれるはずもない。私たちはもう一度オルーロに戻ることにした。何度もしついこいがオルーロは標高3,700メートル。ここでやはり調子が悪ければ、この先のウユニはもちろん、首都ラ・パス(標高3,650メートル)、チチカカ湖周辺(標高3,855メートル)、クスコ(3,360メートル)、ワラス(標高3,090メートル)……すべて困難になってしまう。アンデス高地だけではない。ヒマラヤトレッキングはもっと標高が高いはずだ。オルーロでNGとなれば、私たちの旅の予定は大きく変更せざるをえないことが見えていた。淳ちゃんがビビるのもしかたがない。
コチャバンバの市場で買ったコカの葉を噛みながら(高山病に効くという)、深呼吸を繰り返し、私たちは数日前必死の思いで下った山を再び上がっていった。淳ちゃんの様子を横からうかがう。うんうん、大丈夫そうだ。今度は高度計も見ないようにしているらしい。穏やかな顔をして窓の外を眺めている。昼過ぎ、ふたたびオルーロに降り立った。「前の宿はいい思い出がないからなぁ……」という淳ちゃんの意見で、バスターミナル前の別の宿に部屋を取る。今日も部屋でゆっくりしなくてはいけないので、やっぱり予算外だったが日差しががポカポカ入り込む気持ちのいい部屋にした。今日は夕方までできるだけ動かないようにする。もちろんシャワーも禁止だ。
夜になっても淳ちゃんは元気だった。そして翌朝、「少し頭が重いかなあ……」そんな程度で目を覚ましたのだった。高度馴化ができつつあるのかもしれない。もう1日のんびりして、行けそうならウユニへ向かおう!私たちにも希望が見えてきた。
バスターミナルは町はずれにあるので、市場のあるセントロの方まで歩いてみた。約20分ほどの距離だ。セントロには鉄道駅もある。うまく予定があえばウユニまで列車で行くのもいいねぇ……と、何気なく運行時間を見に出かけた。列車は今日の夜発だった。そのあとは2日後だと言う。うーん、どうしよう……。本当ならもう少しオルーロで高度馴化した方がいい。それに、ウユニ塩湖へのツアーは最高で4,800メートル地点を通るという。ここで良くてもウユニ塩湖のツアー中にまた調子が悪くなることだって考えられるのだ。念には念を入れた方がいいよな……そう思った時だった。「よしっ!今日行こ!オレならたぶん大丈夫。今日の夜の列車でウユニ行こうぜ。で、明日にはもうウユニ塩湖や!」心配だったオルーロで問題がなかったせいだろうか。淳ちゃんの勢いはよかった。じゃあ行ってみる?いよいよウユニ塩湖に行けるとあって何だかワクワクしてくる。淳ちゃんは自信ありげな顔を崩さない。よーし!ウユニだー!ウユニへ行くぞー!と、私たちは慌てて列車のチケットを買い、ホテルに戻って荷物をまとめ、ふたたびオルーロ駅にやってきた。ウユニ行きは19時発。駅前の屋台で食事をすませ、列車に乗り込む。
ウユニへは1時間遅れの深夜3時に着いた。バスならば早朝4時に着き朝までバスのなかで待機、というスケジュールなのだが、ラッキーなことに駅には客引きがいた。私たちは客引きの案内するホテルに向かったのだが、最初のホテルは誰も起きず、次のホテルは満室、そのまた次も満室……と結局、4軒目のホテルでやっと私たちは落ち着くことができた。時間は5時30分。
「ウユニ塩湖へはいつ行く?」当然客引きの青年が聞いてくる。ウユニ塩湖へのツアーはトラブルが多いと聞く。ツアー会社を慎重に選ばないといけないらしいのだが、そのオススメ会社も短いサイクルで変わっていく。インフォメーションにはツアー会社の人気投票のようなものがあると聞いていたので、私たちはまずはそこで調べ、町の旅行会社をまわってベストのツアーに申し込もうとしていた。だが、それをするには1日がかりだ。今、目の前にいるこの青年に頼めば今日、ウユニ塩湖へ行くことができる。
私たちは希望をすべて彼に伝えてみた。当然だが、彼はふんふんと頷いて「ノー・アイ・プロブレマ(問題ないよ!)」と自信たっぷりに言う。まぁ旅行者からの噂から判断すれば問題ないわけがないのだが、私たちは彼で手を打つことにした。覚え書きを書いて交わして確認したってその通り守られないこともあるのだそうだ。だったらあとは、運にまかせるしかないのかもしれない。「じゃ、朝10時30分に迎えにくるよ!」そう言って客引きのウィルソンは去っていった。値段はひとり45USドル。ひとり35〜40USドルぐらいのつもりでいたが今日1日を有効に使えることで5USドルの差額は目をつむることにした。
■車はてんこ盛り!いよいよウユニ塩湖へ
部屋で仮眠を取ったあと私はシャワーを浴びた。ほとんど水である。コチャバンバやオルーロで「ウユニは寒いよ〜!」と脅かされてきたが、本当に寒い。昼間、陽が当たるところはまだましなのだが、室内は空気が凍っているようだ。だが、今日泊まる「塩のホテル」にはシャワーはない。そしてウユニ塩湖のツアーが終わったその足で私たちは、たぶんまたまた夜行バスに乗ってラ・パスへ向かうはずだ。しばらくシャワーを浴びられないとなると、ここで浴びておかなかれば、と思う。
町の中心部で朝食を取ったあとホテルに戻る。そろそろ迎えが来るころだ。5分前にあの客引きの青年ウィルソンが現れる。おっ!さすがちょっと高く払っただけあってしっかりしてる!?なーんて期待した私たちが甘かった。すまなそうにウィルソンは言う。「一緒に行くはずのアミーゴとアミーガ(となりの部屋のカップルを指している)の体調がよくないらしい。今日行くはずのポイントを明日にずらすから、今日の出発を14時にしてくれないか」そう言われてはしかたがない。私たちはまたもやおあずけをくらってしまった。ウユニ塩湖への道は本当に遠い。
14時15分。やぱり遅れて迎えの4WD車がやってくる。体調の悪いアミーゴ達は回復せずリタイヤしたようだ。気の毒だが「もしや貸し切り!?」と少し得した気分にもなる。車は旅行会社のオフィスの前に止まった。ん??まだ乗ってくるのか?ま、まだまだ人は乗れるししかたがないか……そう思って見ていると、オフィスからぞろぞろ、ぞろぞろ人が出てくる。いったい何人いるのだろう。全部で6人!荷物はすべて屋根の上に乗せて、最後尾に3人、中央に3人、そして前方座席に運転手と淳ちゃん、そして私がちょっとキュウキュウになりながら座る。ウユニ塩湖までは約1時間30分。耐えられるだろう。それより早く行こうぜー! やーっとたどり着いたウユニ塩湖を目の前に、私たちは気持ちばかり焦る。
ボロボロ……と頼りないエンジン音を響かせ車は走り出した。ウィルソンが笑顔で送り出してくれる。さぁいよいよウユニ塩湖ツアーの始まりだ。と、思ったら車はなぜか住宅街へ入っていく。忘れ物でもしたのだろうか。「ちょっと待っててね」そう言って家の中に入った運転手は、なんと年頃の娘を連れてきた。アシスタント代わり?でもいったいどこに座るのだろう?何てことはない。運転手は私たちに「もっと詰めてね」とあっさり言い放ち、前方座席に娘を押し込んだ。シフトは娘の股の間から出ている。
車1台総勢10人。やっとツアーは始まった。今日はウユニ塩湖の真ん中ある塩だけでできたホテル「ホテル・プラヤ・ブランカ」に泊まる。明日は観光スポットであるイスラ・デ・ペスカで昼食を取って町に戻るのだ。今日は日暮れにさえ間に合ってくれればいい。ガス欠、故障、トラブルの噂は絶えないが、この車は大丈夫だろうか。隣の隣の隣に座る運転手は、ごきげんで娘に話しかけている。「あっちに見えるのは○○だよ」何て言っているようだが、解説して欲しいのは私たちの方だ。だがまあいいや。せっかくの娘とのデートを邪魔する気にもなれない。私たちはとにかくトラブルなしにホテルまで着いてくれればそれでいい、と謙虚な気持ちで遠くを眺めていた。ところどころ白い箇所が見える。あれがウユニ塩湖?
■満喫満喫、ウユニ塩湖
車は小さな村を通ってウユニ塩湖へ入っていった。ゲート付近には雨期の名残だろうか。水が溜まっている箇所もある。遠くでは塩を採取している人々の姿も見える。真っ白な平原に雲ひとつない青空。イメージはしていたものの、実際に目にすると「この世じゃない」感を強く強く感じることができる場所だ。この車、本当はどこへ向かっているのだろう……。そんな気にすらなる。
ウユニ塩湖の面積は120キロ×100キロ。数万年前に干上がった湖だという。埋蔵されている塩は20億トン!とにかく見渡す限り塩・塩・塩の世界だ。塩湖初体験の私たちにはじゅうぶん刺激的な場所である。
オススメはここから見る日暮れ、朝焼け、そして星!そのためにわざわざ高いお金を出してこの塩のホテルにやってきたのだ。3泊4日で緑の湖とか赤い湖などへも行くツアーがあって人気なのだが、私たちはこのウユニ塩湖のど真ん中でひと晩過ごすことに賭けてきた。そしてやーっと、今、ウユニ塩湖の真ん中に立ったのだ。
ぎゅうぎゅうで車に詰め込まれてきたメンバーも、今日は全員このホテル泊だという。それぞれが好きな方向に歩き出した。どこまで歩いても塩。パリン、パリン……と、靴が塩の結晶を砕く音だけが聞こえる。目標物が何も無い場所に限って気が済むまで歩きたくなるのはどうしてだろう。私たちは「どこまで行っても同じかー」とわかるまで歩いた。塩の地面はそろそろオレンジ色の光を帯び始めている。日暮れが近いようだ。
塩の地平線に太陽が沈むからと言って特別なことはない。だが、日が暮れたあとの空の名残は、雲ひとつ無い乾いた空だけに一見の価値がある。さらに驚いたのが、夜の星空だった。はっきりそれとわかる天の川や無数の星はパタゴニアでもたくさん見てきた。だが、地平線に沈むオリオン座は初体験だった。頭上に展開されるより何倍も大きいオリオン座が今、沈もうとしている。よくよく考えたら360度地平線、という場所もなかなか無い。乾期に入ったウユニ塩湖の夜は恐ろしいほど寒かったが、私たちは何度も星を眺めに外に出た。翌朝はシュラフにくるまって日の出を待った。
翌16時、ツアーは終わった。予想していた以上にウユニ塩湖を楽しむことができた。淳ちゃんの高山病もまったく問題がなかった。だいたいツアー中に4,800メートル地点を通るなんてまったくのガセねただったのだ。ちょっと拍子抜けだが、とにかく無事が何より。そして「観光を楽しめないんじゃないか……」と心配していた私たちだったが、これも問題なかった。私たちは私たちなりに楽しめばいい。欲張りすぎず、セコくもなりすぎず、あまりまわりの意見にも振り回されず。そうしていれば私たちだって楽しめる。自分の好きな景色がわかっているわたしたちだ。このカンを信じてこれからも北上していこう。すいぶん回り道をしてたどり着いたウユニ塩湖だったが、大満足の結果になった。
次はラ・パスを経由してチチカカ湖へ向かう。私たちはウユニの町へ戻ったその夜、ラ・パス行きの夜行バスに乗り込んだ。
▼ウユニ塩湖へのツアー
ということで、私たちは客引きのウィルソンにオーダーしたので
ツアー会社名も最後までわからずじまいでした。
支払った金額はひとり45USドル。
ホテル・プラヤ・ブランカT(塩湖外にUもあるそう)に泊まって
イスラ・デ・ペスカに行って昼食を取る……という一般的なもの。
相場は35〜40USドルという噂ですが詳しくはわかりません。
支払った金額のせいなのか、幸いにもトラブルはなし。
翌2日目は私たち2人だけで車を使えたのでラッキーでした。
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コチャバンバの市場にて。ボリビアでは目の前で絞りたてを出してくれるフレッシュジュース屋さんがあちこちにあります。パパイヤやパイナップルなどなど、日本で頼んだらめちゃくちゃ高そうな生ジュースが1ボリビアーノ(約13円)!野菜不足が気になっていた私たちは、ニンジンを5本ぐらい使った生ジュースをよくオーダーしました。コップに入りきらなかった分はおかわりとして入れてもらえます。
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コチャバンバからオルーロへ向かう途中、アンデス山中にたたずむ小さな村。
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オルーロの市場の様子。色とりどりに見えているのほとんどがジャガイモ!南米原産でここの人たちの主食でもあるジャガイモは本当に種類が豊富!赤やオレンジ、黒や紫などなど、どうやって区別して料理するんだろうと思うほど。同じようにトウモロコシも黒や紫など大きさも様々でいろんな種類を見ることでができます。
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オルーロからウユニへ向かう列車。地元の人が利用するクラス、地元の人と旅行者が混在するクラス、旅行者しか利用しないクラス、のだいたい3つに別れます。私たちは中間のサロンというクラスをチョイス。途中で売り子さんがお弁当を売りにきたりデザートを売りに来たりなかなか楽しい列車。ビデオ上映もあります。でも車内はやっぱり激寒。途中格子を上げて見た窓の外の景色は何もなくて、まるで自分が銀河鉄道に乗っているかのようでした。
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ウユニの町の中心部。たまたま市が立つ日だったのでにぎわっていました。普段はひっそりと何もない町のよう。
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ウユニ塩湖へのツアーはだいたいここに寄るようです。昔の線路、列車が放置された場所。その名も墓場。
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ウユニ塩湖へ入ったところ。雨期には一面こんな状態になるようですが、私たちが訪れた乾期の始まりにはこんな水が張った場所と乾いた場所とが混在していました。空との境がわからなくなるような浮遊感があります。
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塩のブロックでできたホテル「ホテル・プラヤ・ブランカ」。日本の旗もあったそうですが風で破れちゃったみたいです。
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地面を削るとこんな塩の結晶が手に入ります。ピラミッドのような形をしてとてもきれい。誰もが高校球児のように塩を持って帰るみたいですね。もちろん私たちもお持ち帰り。
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セルフタイマーで記念撮影をしたところ。
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これ、実はパクリです。スイマセン。ご存じのかたはおわかりかも。。。メンバーからはアホ扱いされました(笑)
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夕暮れ時にはキャンプストーブでお茶を沸かして景色を楽しみました。これは東側の空の色。
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サンセットはこんな感じでした。うんうん、きれいだ。
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翌朝塩湖を100キロほど進んでイスラ・デ・ペスカへ。魚の形をしているからこの名が付いたそうですが未確認。
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イスラ・デ・ペスカです。その昔インカの人々が植えたサボテンがぐんぐん育っています。樹齢1000年クラスもあるというから驚き。ここで手の込んだランチをいただきました。
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ハチの巣のような模様が見られる場所もあります。2日目は貸し切りだったので好きな場所で車を止めてもらうことができました。
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ウユニ塩湖出口近くの塩採集場。ちょっと浮世離れした仕事場ですね。
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