World Odyssey 地球一周旅行

この旅について
旅の日記
 INDEX
旅のルート
旅の写真
旅のアレコレ

旅に出る前に
プロフィール
旅の情報
リンク
掲示板
メールマガジン
Special Thanks!

>> TOP



旅の日記
見たもの、乗ったもの、食べたもの…たくさんの驚きを写真と一緒にお伝えします。



▼PART30 2005.04.05 世界一美しい国境を馬に乗って
>>エル・チャルテン→ビジャ・オヒギンス



チャルテン村を出る朝、私たちはパタゴニアの秋に追い越されてしまった。

ここパタゴニアの秋は一瞬で通り過ぎてしまう。夏と冬の間のほんのわずかな時間。私たちは秋が来たことすら気づかなかった。

エレクトリコ谷から村に戻ってきたあとは、ずっと天気が良くなかった。村からは、フィッツ・ロイの頭を見ることもできなかった。チャルテン村を出る前の晩は、今までで一番風の強い夜だったと思う。時折、雨の音も混じっていた。

朝8時30分、村から約40キロ北にあるデシエルト湖Lago del Desierto(ラゴ・デル・デシエルト)へ向かうバスが、このレフヒオの前にやってくる時間だ。ここチャルテン村で再会できたナンチャンとも、ふたたびお別れになる。

ふと、いつも眺めるブエルタス谷Valle Ri'o de las Vueltas(バジェ・リオ・デ・ラス・ブエルタス)の脇に並ぶ山々に目がいった。何かがいつもと違う……。

雪が降ったのだ。山々がうっすら雪化粧をしている。枯れ草色だった山は、白い雪をまとってすっかり様子を変えてしまっていた。宿のセニョーラ(おばちゃん)は、寒そうにカーディガンの前を合わせながら「冬が来たわねー」などど言っている。頬にあたる風はずいぶん冷たい。

もう一度ナンチャンにお別れを言ってバスに乗り込む。小さなマイクロバスの乗客は私たちだけ。オフシーズンに入ったのだ。バスは、初冬のピリピリした空気を裂くように未舗装路を進んでいく。なかなか暖まらないバスの中で、足先がどんどん冷たくなってくる。

それでも窓は、あっという間に曇ってしまう。冷たいガラス窓を何度も手で拭きながら、雪化粧をして一変したフィッツ・ロイ周辺の景色を探す。私たちが数日前歩いた時は夏真っ盛りのようだったのに、もうどこから見ても初冬の原野だ。

いつかこんな日が来ることは覚悟していた。カナダ・ユーコンの秋から逃げるように南下した私たちは、いかに秋があっという間にやってきて追い越していくかということを話に聞くだけで、体験しないまま終わっていた。パタゴニアでは、秋が来るまで歩き続けよう、そう決めていた。

実際、秋に追い越された、ということが身に染みてわかると、何とも言えないさみしさと同時に、また別の感情が起こってくる。「私たちはいつまで歩けるのだろう?」。ここから私たちは徐々に北上していく。どこかで秋をふたたび追い越すことがあるのだろうか。そして、冬が始まりかけたパタゴニアで、まだ私たちは歩き続けることができるのだろうか。

私たちはそれぞれ窓の外を眺めながら、パタゴニアで過ごした夏の日々を思い出していた。そして、とたんに寒々しく一変した原野の風景が意味するものを、全身で理解しようとしていた。

バスはデシエルト湖の南港に着いた。ここから先は湖を渡る船に乗る。10時45分発の船があるが、私たちはこの港近くにあるウエムル氷河Glaciar Huemul(グラシアール・ウエムル)を見る往復2時間ほどのトレイルを歩いてから、午後の船に乗るつもりだ。

ウエムル氷河へのトレイルは、チャルテン村からたった40キロ離れただけなのに、ずいぶん森の様子が変わっていた。雨が多いことを示す、苔むした木々が続いている。その中を縫うように、良く整備されたトレイルが続いていた。ウエムル氷河が落ちるウエムル湖Laguna Huemul(ラグーナ・ウエムル)のほとりまで歩き、私たちは港へ戻った。空気は、湿気まで冷え切っているように重く冷たくのしかかってくる。体はどうやっても温まらない。

14時発の船に乗り込んだ。ここでも乗客は私たち2人だけである。湖岸に続く氷河を眺めながら、約45分かけて湖の北側の港Punta Sur de Lago del Desierto(プンタ・スール・デ・ラゴ・デル・デシエルト)までたどり着いた。たまに吹きつける強い風は、針のように痛い。

この港にはアルゼンチンの国境事務所がある。ここから約10キロ先にある国境での出入りをコントロールする役目があるのだ。船を降りた私たちは、小さな建物の中に入っていった。

中はめちゃくちゃ暑かった。外の寒気がウソのように、がんがん暖房が効いているのだ。と言っても、電気もガスもないここでは、薪ストーブで家中をあたためている。さっそく厳めしい制服を着た若い係官がやってきて、机についた。

ところで、私たちがなぜこの国境を越えるルートを選んだかということを、今、ここで少し触れておこうと思う。

パタゴニアを旅行する最大の難点は交通の便の悪さだ。夏の間はバスが頻繁に走っているとはいえ、それぞれの町と町の間の距離は長く、見どころはチリとアルゼンチンというふたつの国をまたいでいる。もちろん飛行機を使うこともできるが、ここでも国をまたぐと国際線扱いになったり……といろいろ面倒くさいことが多い。となると、自ずとモデルルートができあがってしまうのも仕方がないだろう。

パタゴニアの玄関口にあたるバリローチェ。アルゼンチン北部からパタゴニアへ向かうバスはもちろん、チリの北部からチリ側パタゴニアに向かう長距離バスもチリ側の道路が整備されていないために、バリローチェ以南ほとんどをアルゼンチン側を走って抜けることになる。おまけにバリローチェから真っ直ぐ南へ延びる国道40号Ruta40(ルタ・クアレンタ)は、未舗装路のために長距離バスには使い勝手が悪く(アメリカのルート66のようにある層には人気の道だったりもします)、結局、バスは一旦大西洋岸まで出て整備された道を突っ走ることになるのである。ここでも自ずとハブとなるバスターミナルができてしまい、旅行者はその拠点をベースに移動するしかなくなってしまう。

すると、一番の見どころであるパイネ国立公園(プエルト・ナタレス)、ロス・グラシアレス国立公園、(カラファテ、エル・チャルテン)そしてウシュアイアを回ったあとは、バスの便から考えても次の目的地は自ずとバリローチェになってしまうのだ。直線距離にして約1,000キロ北にあたる。これが典型的な北上パターンだろう。実際、ロス・グラシアレス国立公園から北、バリローチェまでの間の町は日本のガイドブック『地球の歩き方』ではほとんど紹介されていない。

だが私たちが持っているガイドブックlonely planet社の 『Trekkinng in the PATAGONIAN ANDES』には、その間にあたる町もセントラルパタゴニアとして紹介されている。そして、魅力的なトレッキングコースもいくつか紹介されているのだ。これらの町へ行くのは、決して不可能ではない。いったんバリローチェまで上がってしまい、小刻みに南下すれば行ける場所なのだ。これはチリ側でも同じことで、バリローチェまで上がってしまい、チリ側の港町プエルト・モンまで行ってから小刻みに南下すれば不可能ではなかった。

ただ、一度南下してから北上している私たちだ。できればきれいなルートで北上したいものである。それにロス・グラシアレス国立公園エリアを出たあとはバリローチェまで、バスでおそらく一昼夜。変わらない景色をまた延々と見続けるのも、正直うんざりだ。私たちは、できれば別のルートで北上したかった。

ロンプラを細かく読んでみると、ひとつキーとなる村があった。ロンプラ内ではサザンパタゴニアで紹介されているビジャ・オヒギンスVilla O'Higginsという村だ。この村は、チャルテン村の約100キロ北に位置する、チャルテン村から一番近い村だ。ここに抜けることができれば、あとは小刻みに走るローカルバスに乗ってチリ側を北上することができそうなのだった。

チャルテン村に行けば誰かが知っているだろう、そう思って、プエルト・ナタレスを出た私たち。ところが、予想外に中継地のカラファテにある日本人宿で、この国境越えルートの話を聞くことができたのだ。

どうやらチャリダー(自転車で旅を進めている人)が比較的よく使うルートのようだ。埃だらけのRuta40を避けるためらしい。このあたりのアルゼンチン側パタゴニアはそれこそイメージ通り、風が吹きすさび埃が舞う枯れた大地だ。一方、チリ側は氷河によって削られたフィヨルドが、複雑に入り組んだ地形が続いている。パタゴニア氷床とこの地形のおかげで、チリはいまだに南北を貫く1本の道路を持っていないほどなのである。静かな水と緑の景色を楽しめる、とビジャ・オヒギンスから北、およそチャイテンChaite'nいう町まで約1,000キロ続く国道7号線は、別名アウストラル街道Carretera Austral(カレテーラ・アウストラル)と呼ばれ、特に欧州のチャリダーに人気の道ということだった。

ただここでも問題はデシエルト湖の北岸から北、オヒギンス湖Lago O'Higgins(ラゴ・オヒギンス)岸にあるカンデラリオ・マンシージャCandelario Mancillaまでの約20キロの区間である。ここさえクリアできれば、あとは3月の中旬まで週2便走っている船に乗り、ビジャ・オヒギンスにたどり着けることがわかっていた。チャリダーはこの区間、登りは自転車を担いで上がり、下りは自転車に乗って一気に下ってしまうという。そしてトレッカーもこの20キロ区間を歩いて越えているというのだ。

たった20キロだから2日もあれば十分いける距離である。ところが、私たちの全荷物はとんでもなく多い。数キロ歩くのがおそらく精一杯、といったところだろう。私たちはひそかに、ビジャ・オヒギンスのホームページでちらりと見た「馬で移動」という項目にかなり期待をしていた。馬に荷物を乗せることができたら、20キロなんて大した移動ではない。

チャルテン村にあるインフォメーションでも、ビジャ・オヒギンスへ抜けるルートについて尋ねてみた。スタッフはあっさりと「馬でも行けるよ。詳しくは国境事務所へ行って聞いてね」とチャルテン村にある国境事務所の場所を教えてくれたのだった。どうやらビジャ・オヒギンスルートが可能になりそうだ。私たちは期待に胸を膨らませながら、国境事務所へ入っていった。

カウボーイでもいるのかと思って入ったら、制服を着た厳めしい係官ばかりだった。つたないスペイン語ではあまりにも自信がなかったので、私たちは身振り手振りまで使って、馬でチリのビジャ・オヒギンスまで抜けたいのだ、と伝えてみた。すると、今までまったく笑わなかった係官たちが、とたんにくだけた態度になる。「行ける行ける。前日までにデシエルト湖の北岸に着けば、そこから馬を手配してチリのボーダーまで行ける。そこから先は無線で車を呼んでやるから大丈夫だ」。たぶん、そう言っていたのだと思う。全部を理解できたとは思えなかったが、どうやら馬で国境を越えてチリ側の船着き場まではいけそうだ、という気がしてきた。そうして私たちは、デシエルト湖北岸にある、この国境事務所にやってきたのだった。

「明日の朝から歩いて越えるの?」他のイミグレではありえないのだが、私たちの出国書類を彼らが書きながら、質問される(もちろん普通のイミグレでは自分で書類を記入する)。さあここからまた説明が大変だ。火曜日にカンデラリオ・マンシージャから出るビジャ・オヒギンス行きの船に乗りたいこと、荷物がたくさんあるので馬に乗って国境を越えたいこと、間に合うのなら明日はトレッキングに行って火曜日に国境越えをしたいこと、と何とか希望をすべて伝えてみる。厳粛な顔をしていた係官、あっさり「リスト(OK)。」と言い放つ。ホントかー!?あまりにあっさり伝わってしまったので急に私たちも不安になってくる。シツコイなあという顔をされながらも、何度も同じことを繰り返し確認する私たちなのだった。

「ところで、今日はどこで寝るんだい?」係官が聞いてくる。ここには無料のキャンプ場がある、と聞いていたので私たちは当然「キャンプ場」と答える。2泊分のキャンプ用食料もチャルテン村で調達してきているのだ。すると、急に商人顔に変身した係官が営業を始めだした。

「実はここにレフヒオ(山小屋)がある。ひとり1泊25ペソでいい。薪ストーブもキッチンもあるし、熱いシャワーはここの事務所のものを使っていい。今日はずいぶん冷え込んだからテントでは寒いと思うけど、どうだい?レフヒオに泊まった方が良いと思うけど。明日の朝も寒いと思うよ」

一気にトークを終える係官。気が付くと、上下スエットの男性が「部屋を見るか?」とそばに立っている。じゃあ見るだけ、と案内してもらうことにした。

中は暖かかった。ウエムルという貴重なシカの調査をしにきている男性が、がんがんストーブを焚いていたのだ。もう外には出られない……。「2泊よろしく!」あっという間にキャンプ計画を却下してしまった私たちだった。今朝から全身でヒシヒシと感じていた「冬が来てしまった」という感覚。1日中上がることのなかった気温と、地元民が「寒いから」と言う事実に、私たちはあっさりと負けてしまった。

この辺りの牧場の人が宿をやっているのかな……そう話しながら、私たちは案内された部屋で荷物を解いた。馬の手配も3頭できたし、出発は火曜の朝、ということになった。明日は1日空くことになったので、日帰りのトレッキングに出かけようと思う。

キャンプ用の簡単な食事をあたたかいレフヒオの中で済ませ、外に出る。デシエルト湖がそのまま南へ伸び、その先には山々の気配。この気配は知っている。きっとあの雲の中にはフィッツ・ロイがいるのだ。もし、あと少し幸運が残っていたら、もう一度フィッツ・ロイの姿を拝めるだろう。私たちは、明日に期待して部屋に戻ろうとした。

ところが国境事務所の中から誰かが手招きしている。私たちを呼んでいるらしい。何か火曜日のことで変更でもあったのだろうか、そう思って事務所に入る私たち。中は昼間以上に暖かかった。風呂上がりの係官が半袖のTシャツにスエットというラフな出で立ちでウロウロしている。よく見ると昼間、書類を書いてくれたあの係官だ。落差の激しさにボー然としてしまう。

「カフェ飲むか」そう言って、例のスエット上下の男性がカフェを出してくれる。アルゼンチンでもらうカフェは基本的に砂糖入りである。やっぱり甘かったカフェだが、私たちはありがたくいただいた。道路も電線もない場所だ。使える施設も限られていて、牧場の人もイミグレ職員も同じキッチンを利用するのだろう。横ではズボンだけ制服を着た男性がパン生地をこねている。夕食用のパンらしい。ものすごい力でダンダンこねまくり、少し寝かせたあと、あっという間に薪ストーブに付いているオーブンに入れて焼き始めた。何も無い場所なので、当然食事も手作りになってしまうのだろう。

そのうち話題は日本の食事のことに及んでくる。彼らが一番興味があるのはやはり箸と米のようだ。「このコメを日本風に炊いてくれ」とめちゃめちゃ長細いインディカ米を差し出され、困りながらも淳ちゃんがなんとか炊き始める。「22時に夕食だから、お箸を持って来てくれよな!」勝手に盛り上がる係官達。私たちは結局この日、イミグレ職員たちと一緒に、2度目の夕食をごちそうになってしまった。淳ちゃんが炊いた日本風お米はまったく人気がなく、お腹の空いていない私たちが翌日の朝食用にお持ち帰りすることになってしまった。

さて、月曜日に出かけたトレッキングはまた別の機会に触れるとして、いよいよチリ国境に向かう火曜日の朝がやってきた。天気は良いものの、寒さは和らいでいない。10時に出発だから、と言われていたので9時45分に事務所に入る。ここで出国のスタンプを忘れずに押してもらわないといけない。

「ブエン・ディア(おはよう)」眠そうに入ってきた制服の男性。15分遅れ、現在10時15分である。そしてよくよく見ると、牧場所属の宿担当かと思っていたあのスエット上下の男性が制服を着ている。彼もイミグレの係官だったのだ。
神妙な顔をして何やら書類に書き物をしているが、スエット姿しか見ていない私たちにとっては威厳も何もあったもんではない。そのうち「マテ飲むか」とすすめられ、彼の仕事が終わるのをマテ茶を飲みながら11時近くまで待つことになってしまった。アルゼンチン人がのんびりなのはわかるけれど、私たちが今日乗る船は17時30分発なのだ。本当に大丈夫なのだろうか。

出国手続きをしている間に積むだろう、と早めに出しておいた私たちの荷物もそのまま放ってあった。おいおい、今日私たちを連れて行ってくれるのは誰だよー!と準備の悪さに少しイラつくが、怒ってもしかたがない。すると、やってきたのは、やっぱりスエット上下だったあの係官だ。そして、やっぱり彼が荷物を積み始める。シロート目に見ても積み方がぎこちない。そろそろイヤな予感はしていたのだが、やっぱりおかしい。どうやら、宿も馬送迎もイミグレの係官が担当しているようなのだ。一丁前にお金をしっかり取る割には、サービスは何もできていない。もちろんその収入の一部は彼らの「へき地手当」的なお小遣いになるのだろう。必死で荷物を馬に括りつけながら係官が淳ちゃんに聞く。「馬は乗れるのか?」

今さら何を聞くねん!という質問だが、答える淳ちゃんも淳ちゃんである。「Si!(はい!)」。どう見てもガイドの能力など皆無であろう、このイミグレ係官と私たち2人はこれから峠のボーダーまで馬に乗っていくのである。馬に乗るのはこれで2回目。馬に乗れるのではなくて、馬に乗ったことがある、が正しい答えだ。毎度のことながら、これは大変なことになってきた……私はまたもやひとりで青くなる。

荷物を積み終えた係官は、いつの間にか出発していた。やっぱり……いやな予感は次々に的中していく。馬に乗り込む手伝いを別の職員にお願いし、何とか馬にまたがる。前回馬に乗ってみて学んで、今回使えそうなことは「馬にナメられるな」これだけである。とはいえ、もはや行くしかない。。淳ちゃんも無事乗り込み、2人で係官のあとを追うことにする。今のところ馬は2頭ともいい子のようだ。

すでに相当ぎこちなかったのだろう。馬に乗るのを手伝ってくれた職員が、「ちょっと待て!」と、いくつか乗り方を教えてくれた。坂を登る時、下る時の姿勢。そしてあぶみにかける足のかけ方。どれも真剣である。私たちはそれらを頭にたたき込み、馬のお尻をペシッと叩いた。

ゆっくりゆっくり馬たちは、急な坂を登っていく。私たちが昨日歩いたトレイルである。パタゴニアでトレッキングをしていると、同じトレイルを馬で行くツアーが組まれていたりするので、けっこう細い道でも馬は行く、ということはわかっていた。それでも実際、高い馬の背に乗ってトレイルを進むというのは、ビビるものがある。それでもこわごわ後ろを振り返ってみる。雪を被ったフィッツ・ロイ、そしてセロ・トーレがバッチリ見えた。そう、ここは「世界一美しい国境」と言われている場所なのだ。

やっと係官の馬に追いついた。彼の乗る馬は3頭の中で一番大きいものの、私たちの荷物約60キロを積んでいるので、めちゃくちゃしんどそうである。それでも係官は「そら、行け!」とビシビシ馬を追い立てている。

先頭を行く係官の馬のあとをついて行くうち、ずいぶん余裕が出てきた。本当にゆっくり山を登っていくので、スピードに対する恐怖はまったく無い。あとは馬が寄り道しないよう気を付けるだけなのだ。私たちは写真を撮ったり、ぺちゃくりおしゃべりしながら、馬に揺られていった。馬はたまに小さなせせらぎを越えたり、森の斜面を上がったりしながら、おとなしく進んでいく。

私の鼻歌が聞こえたのだろう。前を行く係官が「何か日本の歌を歌ってくれ」と言う。あまり歌は得意ではないのだが、いい歌を思いついたので歌ってあげることにした。

「お馬の親子は仲良しこよし、いつでも一緒にぽっくりぽっくり歩く〜♪」

うーん、我ながらナイスな選曲。淳ちゃんは私の音痴っぷりに苦笑いしているが、おおざっぱなアルゼンチン人にはバレないだろう。彼が大喜びするだろうと反応を待ってみる。が、一度振り向いただけで終わってしまった。なんじゃ、無視かよ!思わず日本語でツッこんでしまうが、もちろんそれすらも彼は無反応である。どうやら日本の童謡はアルゼンチン人には不評だったようだ。

そんなことをしながら、ずいぶん山を登ってきた私たち。とっくにお昼を過ぎているのでお腹が空いてきた。動かないので冷えてしまい、トイレにも行きたい。だが、ボーダーまではまだのようだ。

係官の白い馬が、ごね始めた。なかなか前に進まないのだ。係官がペシペシ何度も何度もお尻を叩いてやっと足を前へ出すと言った具合だ。しかたがないので、私たちが馬を先にやり先導することもある。彼にはガイドとしての役割は最初から期待していなかったが、やっぱりイマイチ腑に落ちない。

「荷物がずれてるんちゃうかなあ……」淳ちゃんがつぶやく。よく見ると、馬の両脇にやじろべえのように付けられていた2つのリュックのバランスが悪くなってきている。そのことを係官に指摘してみるが「あと少しだから大丈夫!」と直そうともしない。ホンマに大丈夫かよ……不安はぬぐえない。

しばらく進むうちに、白い馬に付けた荷物のズレが激しくなってきた。右サイドにぶら下げていたリュックは地面に着きそうなほどずれている。これじゃあ馬も不快だろう。

と、係官の乗った白い馬が進まなくなってしまった。係官が押しても引いても、何をやってもガンとして動かないのである。「もう、絶対イヤ!」馬が怒っているのが目に見えてわかる。ついに、係官は馬から下り自分の体重分の負荷を減らし、馬を歩かせた。白い馬は渋々歩いている。それでも、バランスの大きく崩れた荷物は直してもらえず、ぶら下がったリュックが馬の足に当たっているのが見える。係官は「あと少しだからこのまま行く!」と余裕の表情だ。

ついに白い馬の堪忍袋の緒が切れたのだろう。今度こそ、本当に一歩も前に進まなくなってしまった。少し先の開けた場所で待っていた私たちの馬も、何かがわかったのだろうか、とたんに言うことを聞かなくなり、好きな方へ行きたがる。私の見せかけだけの威厳もそろそろ限界だ。

「馬を代えてみるよ」ついに白い馬を置いていくことにした係官は、私たちの乗る馬どちらかに荷物を乗せ替え、ボーダーまで行くことにしたらしい。ところが、私たちの馬も急に言うことを聞かなくなってきている。ついには淳ちゃんの馬がくつわ(口にくわえさせている手綱を操る道具)を外してしまい、もう収拾がつかなくなってきてしまった。

「歩いてくれ。国境まであと少しだ」

えーっ、マジですかー!ついに非常事態である。荷物が重くて馬を頼んだのに、馬が働かず、結局自分で運ばなくてはいけなくなってしまったのだ。さすがに申し訳ないと思ったのだろう。係官がわたしたちの荷物をひとつ持ち、ボーダーの方角へ小走りで向かっている。元はと言えば、彼が馬に無理をさせすぎていたのだ。いくら生き物相手とはいえ、あの係官がおおざっぱに荷物を積み、おおざっぱに馬を扱ったからに違いない。さすがアルゼンチン人のやることだ。と、まあ今さら言ってもしかたがない。私たちは、ブーブー文句を言いながらも、チリとのボーダーまで荷物を背負ってトレイルを歩いたのだった。

ボーターまでは本当にあと少しだった。15分も歩かない内に小高い丘の上に着く。この先はチリだ。すると、ちょうど同じタイミングで爆音をとどろかせ、1台のトラクターがやってきた。荷台には3人の若い女性バックパッカーが乗っている。どうやらここで乗り換えのようだ。さすがに気まずいのか、苦笑いでこちらを見ている係官にお礼を言い、私たちはチリ側のトラクターに乗り込んだ。トラクターには、アルゼンチンのイミグレ係官とは180度違う、お堅いチリ人係官がパトロールついでに同乗していた。これに乗ってチリ側国境事務所まで連れて行ってもらうことになる。

後ろを振り向くと、最後のフィッツ・ロイの姿。ここは紛れもなく、世界一美しい国境だ。





▼トレッキング覚え書き


・A Glaciar Huemul
3/06 曇
Punta Sur de Lago del Desierto⇔Laguna Huemult 約 4.6キロ
私有地なので入り口で入場料8ペソ。


・A Laguna Diablo
3/07 晴→雪→曇
Punta Norte de Lago del Desierto⇔Laguna Diablo 約18キロ
おそらく3キロほど手前で折り返し



▼ビジャ・オヒギンスのホームページ
http://www.villaohiggins.com/






 
アルゼンチン デシエルト湖
デシエルト湖周辺の様子。サッと粉雪をまぶしたように山々が雪化粧をしています。これはこれで本当に美しい光景なのだけれど、やっぱりさみしく寒い光景です。

 
アルゼンチン ウエムル氷河
ウエムル氷河です。お天気が悪かったこともありますが、必要以上に寒々しく見えてしまいます。

 
アルゼンチン デシエルト湖
デシエルト湖を渡る小さな船です。これまた寒々しい。ゴメンナサイ。今回の写真はみんなこんな風にちょっとトーンが暗いものが多いです。

 
アルゼンチン 国境事務所
一転してここはアルゼンチン側国境事務所の夕食風景。私たちのようなレフヒオの客も混じってみんなでごはんを食べました。一番奥に座っているのが私たちです。

 
アルゼンチン フィッツ・ロイ セロ・トーレ
アルゼンチン側国境事務所のあるデシエルト湖北岸からのぞむフィッツ・ロイ。まさか見えると思っていなかったので感激もひとしおです。うっすらと雪を被ったフィッツ・ロイ、そしてここからは何とフィッツ・ロイの右手にセロ・トーレを見ることができます。

 
アルゼンチン イミグレ
ずいぶん出発時間を過ぎていますが、まだ仕事の終わらない係官。「まあ、マテでも飲め」と勧められるままマテ茶を飲む私。このあと馬の上でトイレに行きたくなる危機にも、まだ気づいていません。

 
アルゼンチン 馬 国境
やっと荷物を馬に積み終わりました。左右に私たちのバックパックをぶら下げています。もうひとつの大きな袋状のかばんは係官の膝の上。ホンマに大丈夫なんでしょうか!?

 
アルゼンチン 国境 馬
係官は先に行ってしまいましたが、残った職員が私を馬に乗せてくれました。湖の向こうにはフィッツ・ロイの姿。ホント、荷物さえなければただの乗馬ツアーなんですけれどね。

 
アルゼンチン 国境 馬
急な坂を登っていく馬たち。こんな時人間は前屈みになって体重を前にかけてあげると馬もラクなのだそうです。

 
アルゼンチン 国境 馬 フィッツ・ロイ
淳ちゃんの馬は最初から道草気味。残念ながら飛んでしまっていますが、背後にはずっとフィッツ・ロイの姿がありました。何度も何度も振り返ったものです。

 
アルゼンチン 国境 馬
しばらく進むと南極ブナの森の中へ入ります。パカパカまだ快適に進む馬たち。それにしてもこんな道、チャリンコで行けるものなんでしょうか?チャリダーではないので不明。

 
アルゼンチン 国境 馬
トレッキングだったら靴を脱がないとちょっと厳しい川越えも、馬ならラクラク。馬を待たせて写真を撮る淳ちゃんです。

 
アルゼンチン 国境 馬
係官の白い馬の休憩が多くなり、待ち時間を持てあます私たち。ついには、馬たちで遊び始めました。これは、ちょっと草を食べに行ってまた戻ってきたところ。白い馬はまだ動いてくれないようです。

 
アルゼンチン 国境 馬
そうしてついには、いつもの移動スタイルに。馬は3頭とも動かなくなってしまったので木に繋いでお留守番させています。「妙に嬉しそうやなー」とあとから淳ちゃんに突っ込まれた写真。ホント、なぜか嬉しそうです。

 
国境 チリ イミグレ トラクター
ボーダーを超えてチリ側に入ったあと乗った、イミグレ職員がお金を取るトラクター。ひとり約1,000円で 約14キロ乗せてくれます。歩くことを思えばこれはラッキー。ちなみに馬は1頭約2,000円(約8キロ移動)でした。おい!もっと働けよ!ってな感じですよね。

 
ビジャ・オヒギンス オヒギンス湖
オヒギンス湖をビジャ・オヒギンスまで連れて行ってくれる船。30分ぐらいの乗船かと思ったら、3時間弱。その間、湖は冬の日本海のように荒れまくり船は木の葉のように揺れ続けました。湖は典型的な氷河湖の色・エメラルドグリーンをしています。ちょうど手のひらを広げたようなこの湖の西のアームには、巨大なチコ氷河Glaciar Chico(グラシアール・チコ)やオヒギンス氷河Graciar O'Higgins(グラシアール・オヒギンス)があり、船で観光することができます。




▼PART31 2005.04.07 チリ政府もイチオシ!?のモスコ氷河 〜 チリ ビジャ・オヒギンス
?Back