World Odyssey 地球一周旅行

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旅の日記
見たもの、乗ったもの、食べたもの…たくさんの驚きを写真と一緒にお伝えします。



▼PART24 2004.12.05 パナハッチェルでプチリタイヤ生活
>>グアテマラ・アティトラン湖畔



初体験のチキンバスに3時間も揺られ、半ば呆然とパナハッチェルに降り立った私たち。もう夕方になっている。10月24日のことだった。
メヒコのサンクリストバル・デ・ラスカサスを出て丸2日。豪華で快適なメヒコの長距離バスで丸2日過ごすのとは訳が違い、もうクタクタだ。荷物も本当にバスの屋根に上げられるとは思っていなかった。

私たちの目的地はサン・ペドロ・ラ・ラグーナ。安いスペイン語学校に、安いアパートがあってオススメ、と教えてもらっていたのだ。でも今日はもう無理。対岸にあるサン・ペドロまでの船はもう終わってしまっている。

またもや一文無しで入国してきた私たちは、運良くカヘーロ(ATM機)を見つけたので現金を引き出すことにした。ここ、パナハッチェルはアメリカ人移住者が多く、別名「グリンゴテナンゴ」(グリンゴとはアメリカ人を指すちょっと蔑称に近い言葉。白人全体を指すこともあります。テナンゴとはグアテマラの街によく使われている言葉で「砦」という意味があるそう)とも言われるので必ずATMがあるだろう、と期待していたので、本当に助かった。

荷物を見ていてくれたナンチャンが誰かと喋っている。日本人だ!

彼はここに住んでいるという。民宿をやっているからよかったらどうぞ、と誘っていただいた。ひとり35ケツァール(約525円)。激安だ。

しばらく立ち話をしていると、ひょっとして……、という気がムクムクと湧いてきた。「カレーライスの村岡さん」じゃないだろうか……。

「カレーライスの村岡さん」とは面識がないにも関わらず、私は知っていた。というのも、以前もこのメルマガでご紹介した、南北アメリカを旅する永石夫妻のホームページに登場していたからだ。(パナハッチェルのページはコチラ)
http://home.att.ne.jp/zeta/vamos/
今年の春、パナハッチェルを訪れ、偶然村岡夫妻と親しくなった永石夫妻。カレーライスと天ぷらを御馳走になっていた。「パナハッチェルにはゴマ油が売っている」という情報も、永石夫妻のホームページで見ていた私たちは、別の意味でもパナハッチェルに期待していた。パナハッチェルって美味しそうだ……なんて。

思い切って尋ねてみる。永石夫妻をご存じですか、と。やはり、あの村岡さんだった。カレーライスの村岡さんだったのだ。彼が始めた日本人宿。うーん、魅力的だ……。

「ゆっくり考えてからいらっしゃい」そう言って村岡さんは去っていった。

ゆっくり考える必要もなく、私たちは村岡邸へ行くことにした。風邪気味の私はもうヒヨヒヨだ。

村岡夫妻が営む日本人宿・Tourist Home Muraokaツーリストホーム・村岡はパナハッチェルの街の外れ、外国人ばかりが住むResidenciales Panajachelレジデンシアレス・パナハッチェルという、塀で囲われた居住区の中にあった。ごちゃっとした街並みからは想像できないほど、すっきりキレイな通りが延びている。村岡夫妻は、リタイヤ後の生活をここパナハッチェルに移して7ヶ月になる。ご子息はグアテマラ大使館にお勤め。永石夫妻の薦めで民宿を始めたらしい村岡夫妻だが、グアテマラ国内の安全に関する最新情報も常に手に入るので、単なる日本人宿以上に安心できる場所でもある。

最初は訪れた旅行者が、次に行った場所で名刺を配ってくれる程度の口コミでほそぼそとやっていけたらいい、と思っていらっしゃったようだ。ところが、今はネット社会。アンティグアの有名日本人宿・ペンション田代で評判になると、田代のホームページ内にある「宿泊者リレー日記」や田代を経由してついにはメヒコへまで噂が噂を呼び、私たちが訪れたオープン2ヶ月目の時点では、すでに連日客が絶えない状況になっていた。

ツーリストホーム・村岡に入ると、奥様の啓子さんがさっそく声をかけてくれる。「今日は、牛丼でいいかしらね」

牛丼!!!

今、啓子さん、牛丼って言ったよねぇ、淳ちゃん!と、私のボルテージは一気にあがる。淳ちゃんはそんな私に呆れ気味だ。でも、確実に嬉しそうでもある。そりゃそうだ。牛丼って!

何だかそれから記憶が途切れ気味だが、とにかく私たちはほとんど泣きながら、啓子さんの作ってくれた牛丼をガツガツ食べたようだ。そして、とっても幸せな気持ちで眠りについたみたいだ。久しぶりの清潔なバスルーム。久しぶりの固いベッド。臭くないベッド。あー、日本人ってホント素晴らしい!!

すっかり気が緩んでしまったのだろう。翌日、私の風邪は最強に悪くなってしまった。ゆっくり休みなさい、という啓子さんの言葉に甘えさせていただいて、1日中寝て過ごすことにした。淳ちゃんとナンチャンは、サン・ペドロの様子を見るため、朝の船で出かけている。

サン・ペドロはイマイチだったそうだ。確かに学校は安く部屋も格安で借りられるのだが、雰囲気がちょっと暗くてイマイチらしい。観光地化されている、と言われるパナハッチェルだが、私たちにはこの街の方が便利で快適に暮らせそうだ。よし、ココで部屋を借りよう。さっそく部屋探しと学校探しをすることになった。私はまだ風邪が治りきっていない。

翌日、ご主人の孝志さんは、ご自分がパナハッチェルに暮らそうと決めた時に見て回っていたアパートや貸部屋を、何軒も一緒にまわってくださった。ここパナハッチェルでは1ヶ月1万円も出せば、十分の場所が借りられる。ただ、私たちは3人暮らしだった。もう少しだけ広い場所で過ごせたら、もっと勉強もはかどるのになあ、なんて贅沢なことを考えている。大体そういうことを言うヤツは、どこに行っても勉強をしないものなのだ。自分で言うのも変だけど。

「じゃあ、とっておきの場所を教えよう。私たちが住んでいた場所だからね」

そう言って孝志さんは、広い庭に囲まれたアパートに連れて行ってくれた。Aptos SULITAアプトス・スリタだ。

スリタは孝志さんさんたちが住んでいただけあって、文句の付けようがない場所だった。広くてよく手入れされた庭、人の良い管理人ビクトル。平屋を2家族で使えるよう仕切ったアパートは、12畳ほどのダイニングキッチンに8畳程度のベッドルーム、広めのバスルーム。どこも清潔で申し分ない。グアテマラではなかなか難しいホットシャワーも、本当に熱いお湯が出るそうだ。

即決だった。

1ヶ月325USドル(約39,000円)。水道・電気・ガス代込み。この街の物価から考えると、ずいぶん贅沢な場所だ。それでも1日1人約3.6USドル(約432円)だから、安宿に泊まるより安い。フルキッチン装備なので、何でも食べたいものを作ることができる。節約を心がけたら、安く暮らせそうだ。

入居は10月29日から1ヶ月。11月29日の朝退去すれば良いそうだ。私たちは、もう1日、ツーリストホーム・村岡にお世話になり、のんびり過ごした。もちろん、念願のカレーライスもいただいた。

そのころ、私の風邪はまたぶり返して悪くなっていた。せっかく入居したスリタでも寝てばかりだ。

週明けの11月1日から淳ちゃんとナンチャンは、学校に通い始めた。サンタンデール通りの起点にあるJabel Tinamitハベル・チナミットだ。パナハッチェルのスペイン語学校は、現在実質2校しか運営されていない。もう1校はJardin de Americaハルディン・デ・アメリカというのだが、ハベル・ティナミットを運営するグレゴリオは元ハルディン・デ・アメリカの職員だったというややこしい関係だ。それでも明るい雰囲気に惹かれ、淳ちゃんとナンチャンはハベル・チナミットを選んで通っている。毎日宿題がたっぷり出され、かなり大変そうだ。

私は旅行の疲れも溜まっているのだろう、と無理をせず1週間のんびり過ごすことにした。ここでの暮らしは1ヶ月ある。学校は1週間遅れ、合計3週間通えばいい。そう開き直ることにした。

ところが体調がなかなかよくならない。結局、10日間休んだあと、11月11日から学校に通い始めることになった。

私の先生はNicolasaニコラーサと言う。新婚ほやほやの穏やかな先生だ。淳ちゃんは毎日ビシビシ指導してくれるソイラのもとで、ほとんどマゾのように喜んで勉強しているが、私は優しいニコラーサで安心している。それでも、授業は1日4時間、13時から17時までびっしりだ。ニコラーサは一応、英語を知ってはいるものの、発音がまったくスペイン語テイストなので彼女の英語を理解する方が時間がかかる。ということで、授業は全てスペイン語だ。淳ちゃんはメヒコの中盤あたりから少しずつスペイン語を自習し始めていたが、私はまったくの初心者だ。メニューやメルカドにある言葉くらいしか知らない。そんな私でも、初日から容赦なしに授業は進んでいく。

授業はニコラーサとのマンツーマンだ。気を抜くヒマが無い。知っている単語、覚えたばかりの文法で、ニコラーサの話すひと言ひと言を、ここ20年ぐらい使ったことのない集中力で聞く。

フッとニコラーサが言っていたことがわからなくなることがある。わからない、と言うより聞こえていなかったと言う方が近い。自分では聞いているつもりなのに、頭がショートしてしまってスーッと言葉が通過してしまっているようだ。あ、集中力が切れてきたな……。時計を見るとだいたい15時を過ぎている。この辺りが限界らしい。15時30分ごろになるといつも休憩が入る。そして、また1時間ほど授業を進めるのだ。

会話が中心の授業なので、ハッキリ言ってズルが効いてしまう。自分から話をふくらませようとすればいくらでも話せるし、面倒くさくなってひと言で終わらそうとすればそれも可能だからだ。同じ話題を続ければ、新しく覚えた動詞を使わなくても済む。1日に50個以上も動詞を覚えろ、と渡されるので、全部を使いこなせるわけがない。それでも、自分の気持ち次第で、授業内容に大きく差が出てしまうのだ。

先生たちも「生徒が話し始めたら中断せず目を見て最後まで聞くこと」と指導されているらしいので、自分が話せば話すほど先生は話を聞き、ふくらませてくれる。

毎日出されるTareaタレア(宿題)も同じだ。たっぷり出される、と言っても「今日習った動詞を使って20文、作ってきなさい」程度だ。だけど、それで今日習ったことが自分のものになるとは思えない。結局20と言わず50も60も、習った動詞の使い方が理解できるまで、例文を作ることになる。授業中に走り書きしたノートもまとめ直さないといけない。とにかく、今日習ったことを自分のものにしておかないと、明日の授業で新しいことを教えてもらえないからだ。

いやいや。高校生の時にこれぐらい復習をしていたらねぇ、なんてつまらない後悔をしてみる。これが自分で勉強するってことなのか、と31歳になってわかるのだから遅すぎるってヤツだ。でも、悪くない。遅くたって、わかったんだったらいいじゃないか。

こうやって私たちは、学校中心の規則的な生活を送っていた。朝6時過ぎに起床。淳ちゃんとナンチャンが朝ごはんのプラタナを焼き、卵を焼き、フルーツを切る。私は寝ぼけまなこで、ゴミの始末をする。朝ご飯が済んでもまだ8時前だ。ナンチャンと私は、それぞれお気に入りの散歩コースへ出かける。20日に行くことになったタフムルコ登山のトレーニングのためだ。家に戻れば、学校の復習。お昼には淳ちゃんの焼いてくれるパンケーキを食べて、学校に向かう。17時に学校が終われば、真っ直ぐ家に帰って夕食を作る。夕食の後片付けのあとは、おいしいコーヒーをいれビスケットでもかじりながら、今日の復習と宿題を片づける。そして、12時には倒れ込むように寝てしまう、と言った具合だ。

私は短期集中型なので、スペイン語の学習はシンドイながらも順調に進んでいるようだった。先に勉強を始めた淳ちゃんも、私に脅威を感じている。

でも長く続かないのが短所なのだ。毎日学校にかかり切りになってしまったのでホームページの更新も溜まっている。結局、私の学校は1週間で終わらせることにした。

ところが、最終日になる11月19日。私はまたもやダウンしてしまった。風邪気味になってしまったのだ。ここ、パナハッチェルは夜になるとグッと冷え込むことがある。寝ている間に、また調子を崩してしまったようだ。翌日はタフムルコ登山。無理をしてキャンセルになっては大変、と仕方がないが学校は休むことにしてしまった。結局、学校に通えたのは6日間だけだった。

淳ちゃんとナンチャンは4週間通いきった。最後の1週間は、ハベル・ティナミットが定員オーバーになってしまったので、ハルディン・デ・アメリカに転校したが、4週間計20日間毎日4時間の授業を受け、復習と宿題をこなし続けたのだ。これはスゴイ。ナンチャンは最初から相当なレベルなので、私が成長具合をはかることはできないが、淳ちゃんの成長ぶりと言ったらない。旅行で必要な程度のスペイン語はマスターしているのだ。しかも、彼のように色んな人とコミュニケーションをどんどん取る人は、倍増してうまくなっていく。

それに比べて私はたったの6日間。やっぱりその程度しか上達していない。

情けないなあ……。

でも。体調を崩してしまったんだから仕方がない。1ヶ月の間に体力も付け直したし、タフムルコにだってヘボヘボながら登ることができた。ちょっとはスペイン語の仕組みもわかったし、1ヶ月続いた日本食自炊大会も乗り切った。またもや自分に甘い結果になったが、のんびりパナハッチェルで過ごすことができてよかったと思う。なかなか体験できない、グアテマラでの生活だ。これだけでも貴重だと思いたい。

そして、また貴重な財産ができた。村岡ご夫妻との出会いだ。おいしいごはんをたくさん食べさせていただいた奥様の啓子さんはもちろん、孝志さんにはお世話になったばかりか、海外で暮らす日本人はどうしたらいいのか、と言うことも教えていただいたと思っている。小さい街だが、孝志さんに会わない日はほとんどなかった。

孝志さんはいつも街に出て、地元の人たちとコミュニケーションを取っていた。感謝の気持ちを伝える時は、日本式で精一杯の感謝を伝えていた。タバコは、地元の人価格と外国人価格があった。もちろん孝志さんは外国人価格を気持ちよく払っていた。そうやって、物価の安い国に暮らしながらも現地の経済を乱すことなく、とけ込んでいらっしゃったのだ。年金だけで海外で豊かに暮らす、というスタイルがよく取り上げられる。もしかしたら私たちも、そんな選択肢を将来取るかもしれない。そんな時、必ず孝志さんのことを思い出そうと思う。孝志さんと啓子さんのようなカッコイイリタイヤメントになりたいと思う。「その前に、日本に帰ったらしっかり働いて子供作りなさいよ!」啓子さんの声が聞こえてきそうだ。

ホント、それが先だ。

でもその前にもう少しだけ、世界を旅しようと思う。

私たちは次の目的地、コスタリカへ向かった。





▼パナハッチェルのスペイン語学校覚え書き

・Jabel Tinamit ハベル・ティナミット
 http://www.jabeltinamit.com

ナンチャンの先生グレゴリオが運営するスペイン語学校。
1日4時間(8時〜12時or13時〜17時)週5日間で週70USドル。
ホームステイの紹介やアパートの紹介もしてくれます。
アクティビティもあるとありますが、ホンマに
やっていたのかは不明。授業料は日割りもできます。

学校内はコーヒー、紅茶、水が無料。
1週間で2時間、オフィス内にあるネット端末を無料で使えます。




・Jaldin de America ハルディン・デ・アメリカ
 http://jardindeamerica.com/

最後の1週間だけ淳ちゃんとナンチャンが通った学校。
グレゴリオの学校より、キッチリした印象のよう。
淳ちゃんたちはハベル・ティナミットの方が好きなようです。
これは好み、とのことなので、実際に見学してみることを
オススメします。
1週間4時間(8時〜12時のみ)で75USドル。

やっぱりコーヒーなどが無料。
インターネットは街の中心部にあるネットカフェPulcinellaの
タダ券が1週間で2.5時間分付いてきます。



・スペイン語学校の様子はこちらでも見ることができます。

 旅のアレコレ> 女教師ソイラ[淳二筆 2004.11.26]
 http://www.chiq1.com/a/ura/0010.html





[今回使った足と宿]


▼村岡孝志さん・啓子さんが営む日本人宿

 Tourist Home Muraoka
 ツーリストホーム・村岡
 電話 7762-2361

 メルカド近くのレジデンシアレス・パナハッチェル内。
 アンティグアの日本人宿・ペンション田代のホームページ内に
 あるコーナー、宿泊者リレー日記の中でも、ツーリストホーム・
 村岡体験記を見ることができます。どうやら、パナハッチェル
 を歩いていると、孝志さんにナンパしてもらえる……という
 噂になっているみたい。確かに私たちもナンパされました。
 現在は連日満員なので、電話をしてから行った方がいいと思います。
 ついでに夕食のリクエストもしちゃったりして。



▼カミオネータでの移動だったのでバスの会社名は不明


グアテマラ パナハッチェル ツーリストホーム・村岡
ツーリストホーム・村岡で牛丼を食べる私。
ヤバイですな。

 
グアテマラ パナハッチェル レジデンシアレス・パナハッチェル
レジデンシアレス・パナハッチェルのエントランス。この通り沿いに家が並んでいます。グアテマラだと言うことを忘れそう……。

 
グアテマラ パナハッチェル 村岡邸
村岡邸の秘蔵っ子トム。日差しがよくあたるベッドが大のお気に入り。開放的なヤツ……。

 
グアテマラ パナハッチェル ハチドリ 村岡さん カフェ
湖のそばにある洒落たカフェ。珍しい花がいっぱい咲いています。ハチドリもきます。カフェ3ケツァールぐらい。ここともう1軒のカフェ、よく孝志さんに誘っていただきました。

 
グアテマラ パナハッチェル 昼寝
淳ちゃんはすっかりトムと仲良しになりました。お昼寝中の2人(?)を激写。

 
グアテマラ パナハッチェル ツーリストホーム・村岡 朝ご飯
ツーリストホーム・村岡の朝ご飯です。私たちは完全パクリで1ヶ月を過ごしました。途中「村岡家を抜いたんちゃうーん?」なんて自画自賛していましたが、スリタを退去後最後に1泊した際、それは思い上がりだったことが判明。完敗でした。真ん中の緑色のものは、アグアカテ(アボガド)とマスタードの和え物。これがイケるんです。私たちの朝ご飯については、コラムも見てみてください。

 
グアテマラ パナハッチェル アパート スリタ 外観
スリタにて。私たちの棟の外観です。

 
グアテマラ パナハッチェル アパート スリタ 部屋
スリタでの私たちの寝室。エキストラベッドを足して3つ並べてもらいました。1ヶ月エキストラで頑張ってくれたナンチャン、ありがとう。。

 
グアテマラ パナハッチェル アパート スリタ 自炊
スリタでの調理風景。1ヶ月終えてみて、私たちの自炊は1600ケツァール(約24,000円)でした。ひとり約8,000円。なかなか贅沢した割には頑張ったんじゃないでしょうか?

 
グアテマラ パナハッチェル アパート スリタ 自炊
村岡家のパクリその2。手作りイチゴジャムの作り方を伝授していただきました。1ヶ月で2回作りました。美味しかったなあ。

 
グアテマラ パナハッチェル Suli スリ
日本で言うとプライベートブランドに近いのかな?Suliスリという製品です。中米各国で売られているようです。まあまあの質で、他製品よりも激安!Despensa Famiriarデスペンサ・ファミリアというスーパーでの品揃えが豊富です。コスタリカでもスリ製品を見つけた時はちょっと嬉しかったなあ。

 
グアテマラ パナハッチェル 洗濯
洗濯は外の洗い場で手洗いです。洗濯板のようなデコボコが底についています。真ん中の深い漕に水を貯めます。基本的に洗濯は各自ですることにしていました。

 
グアテマラ パナハッチェル 水
飲料水はもちろん買います。5ガロン(約19リットル)で13ケツァール(約195円)程度です。持ってきてもらうともう少し高くなるので自分たちで買いに行きます。

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ 食事
お昼ごはんはパンケケ(パンケーキ)にすることが多かったです。刻みピーニャ(パイン)をたっぷりいれます。

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ サソリ
スリタの和み場所。ここで歯を磨いたりストレッチをしたりしました。サソリが出るのもこのあたりです。

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ 庭
玄関のすぐ前が洗濯干場兼ちょっとしたお庭。後半戦、淳ちゃんはここに机と椅子を出してよく勉強していました。

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ 犬
スリタの役立たず犬ボビー。しつけが悪かったらしく、人に飛びついてくるそうです。大きい犬だからたいていの人は吹っ飛ばされます。なので、ボビーが外にいる時、私は絶対外に出ません。お気に入りのペットボトルで遊んでいるところ隠し撮り。間抜け面ですなー。

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ 夕食
ある日の夕食風景。唐揚げと豆ごはんでした。揚げ物に飢えていたせいか、唐揚げやトンカツ、コロッケなど揚げ物メニューがとっても多かったです。でもこれでだいぶ満足。鶏肉は自分たちでさばきました。結構大変だったんですよね、これ。

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ カフェ
夕食のあとはおいしいカフェをいれてほっとひと息。クロスロードカフェというカフェの豆がうまいです。

 
グアテマラ パナハッチェル メルカド
パナハッチェルのメルカドの様子。日によって盛り上がっている日とそうでない日とありますが、規則性は見いだせませんでした。とにかくよく行きました。

 
グアテマラ パナハッチェル スペイン語学校 ハベル・ティナミット
TOPページでもご紹介したハベル・ティナミットの様子。いっちょ前に勉強している風ですよね。

 
グアテマラ パナハッチェル スペイン語学校 ハベル・ティナミット
ハベル・ティナミットの授業風景。さすがナンチャン、ホンマにグレゴリオと会話しているみたいです(当たり前か)。

 
グアテマラ パナハッチェル スペイン語学校 ハベル・ティナミット
グレゴリオの息子ブライアン。淳ちゃんのお気に入りでした。ホント、かわいいんだ、この子。左の男の子はグレゴリオの義弟。

 
グアテマラ パナハッチェル スペイン語学校 ハルディン・デ・アメリカ
こちらはハルディン・デ・アメリカです。どちらも庭の中に机を置いて開放的な様子。

 
グアテマラ パナハッチェル スペイン語学校 ハルディン・デ・アメリカ
いよいよ学校も佳境に入ってきてお疲れの淳ちゃん。あと少し、頑張れ!

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ 管理人
管理人のビクトルと奥様のホセ。そして末っ子のオマル。子供たちは全部で12人います。オマル、拗ね拗ねですねー。

 
グアテマラ パナハッチェル スリタ 管理人
そして、一番のオットコ前セサと下から2番目の坊や。この子の名前、わからなかったんですよねー。

 
グアテマラ パナハッチェル 村岡邸
最後に村岡邸で記念撮影をしました。孝志さん、啓子さん、本当にお世話になりました!




▼PART25 2005.01.06 旅について考えた 〜コスタリカ・ネイチャースポット巡り
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