World Odyssey 地球一周旅行

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旅の日記
見たもの、乗ったもの、食べたもの…たくさんの驚きを写真と一緒にお伝えします。



▼PART19 2004.10.18 フィエスタ!×3
>>コロニアル都市サンミゲル・デ・アジェンデ



Hotel Vianey(オテル・ビアネイ)に落ち着いた私たちは、さっそく街を歩いてみてもう一度実感した。ココなら長居できそうだ!

何がそうさせるのかうまく説明できない。都会でないこと、近代化され(過ぎ)ていないこと、人がフレンドリーなこと、物価が安いこと、歩いて一周できる程度の大きさであること……細かく挙げたらいくらでも出てきそうだが、本当はそんなことをいちいち考えて決めていないはずだ。つまるところ「空気」なんだろう。いくつもの因子が絡み合ってできた独特の「空気」を好きか嫌いか、それだけのような気がする。

サンミゲル・デ・アジェンデはメキシコシティにほど近い、中央高原北西部に位置するコロニアル都市だ。このあたりは17〜18世紀にシルバーラッシュで繁栄し、次から次へと壮大な教会や豪邸が築かれていた。好況が終わったあとは、それに代わる工業があまり発展しなかったことで、スペイン統治時代の面影をそのまま街に残しているところが多い。元々住んでいた人びとのことを考えるとコロニアル(植民地)風建築、などともてはやすのは複雑な気持ちになるが、もしかするとヨーロッパ以上に中世の雰囲気を残している貴重な街並みは、世界文化遺産に指定されているところも多い。

周辺のグアナファトやサカテカスと違いサンミゲル・デ・アジェンデは、手工業で繁栄した街だそうだ。ソカロ(中央広場)を中心にしていくつもの教会が建ち、中心部の道は今なお石畳。サンダル履きの私たちにはちょっと歩きにくいけれど、たまに馬やロバが通るとパカパカと蹄が響いてノスタルジックな気分になる。

この街は芸術の街としても知られている。Instituto Allende(インスティテュート アジェンデ:アジェンデ美術学校)とBellas Artes(ベジャス アルテス:正式名はエルニグロマンテ文化会館)、この2つの芸術学校では常時講座が開かれていて、外国人でも気軽に受講することができる。インスティテュート アジェンデからは、画家や彫刻家、陶芸家、写真家などたくさんの芸術家が巣立っていったそうだ。講習は1ヶ月〜3ヶ月単位が多く、料金もリーズナブルなので、アメリカからきた定年退職者も多く見ることができる。

私たちがこの街に入ったのは9月14日。メキシコ独立記念日を明後日に控えていた。独立記念日の前日、9月15日の23時にはメキシコシティ(シティと略す)での50万人を筆頭に、各地で独立の叫び声が上がるという。このあたりは独立運動が最初におこった地域なので、大きなイベントになるかも知れない。

張り切っていたにもかかわらず、私は鼻風邪がひどくなって外に出られなくなってしまった。それでも淳ちゃんはいそいそとひとりで出かけていく。

外からは花火か爆竹の音が派手に聞こえた。


  「Viva Mexico〜! (ビバ メヒコ〜!:メキシコ万歳!)」

0時過ぎ、淳ちゃんがご機嫌で帰ってきた。ソカロでは仕掛け花火に次々と火が付けられ、集まった人びとは国歌のようなものを熱唱していたらしい。ソカロを埋め尽くすような人、というからけっこう集まっていたはずだ。それでも、誰もハメを外すことなくお行儀よく独立記念日を楽しんでいたらしい。公衆での飲酒が禁じられているからだろうか?危険な目にはまったく遭わず、そんな気配をこれっぽっちも感じることなく、純粋にイベントを楽しんで帰ってこれたようだ。

  「来週は牛追いやで〜!」

すっかり長居するつもりの淳ちゃんである。来週の土曜日、9月25日には牛追い祭りがこの街で開かれるらしい。そこまで約10日、のんびりしようぜ、ということなのだ。

ここサンミゲル・デ・アジェンデで開かれる牛追い祭りはSanmiguelada(サンミゲラーダ)という。スペインのPamplona(パンプローナ)で開かれる有名な牛追い祭りPamplonada(パンプロナーダ)をもじっているのだろうが、なぜここサンミゲル・デ・アジェンデで開かれるようになったのかはわからない。本家パンプロナーダと同じく、街のなかを牛を追って走りまわる祭りだ。

毎年、我こそは勇敢な男なり!といった若者たちがメキシコ中からわんさか集まってくる。それを目当てに観光客もどっと集まる。地元の人などは「あーんな危ない祭り、家のテレビで見るに限る!」てな具合であまり参加しないそうだが、サンミゲル・デ・アジェンデが1年でいちばん盛り上がるのがこの祭りなのだ。本家よろしく、昨年は2人の死者も出てしまっている。今年は20頭いた牛を8頭に減らし、牛の通る道には柵を設け……と安全策も取られているそうだ。

観光客は増えるだろうけれど、私たちは宿も確保してるしね〜と余裕をかましていたら、あっさり裏切られた。

毎日その日の分の宿代を払っていたのだが、今日は何か他に言いたいことがあるようだ、となったのが祭りの1週間前、19日(日曜)だった。覚えたばかりの単語「miercoles(ミエルコレス:水曜日)」がおばちゃんの口から出てきた。

水曜には出ていってくれ、そう言っているらしい。

宿のおばちゃんは「部屋が埋まっている」と言っているようだが、たぶん違う。水曜からは祭り価格に跳ね上がるのだ。普段は地元の人のラブホテルと化したこの安宿でも(今年度版の『歩き方』ではこの宿は削除されてしまっている!)、サンミゲラーダだけは別のようだ。ちまちまと毎日150ペソ(約1500円)を払うような私たちには、お祭り価格はムリだと思われたのだろうか?とにかくそれ以上の交渉をする語学力もなく、私たちは次の宿を探すしかなくなってしまった。もちろん他の宿だってお祭り価格だ。

この期間はひとり800ペソ(約8000円)が相場だという。これは厳しい。だいたい普段の2.5〜3倍近い値段だ。結局、お祭り前日と当日、金・土だけ1人250ペソ(最終的に、当日交渉して1人200ペソに下がったのだが)になるホステルに移ることになった。他の宿のことを考えれば安い方だが、それでも普段が1人90ペソ(約900円)だから3倍弱。とほほ、である。この祭りはよっぽど人が集まって儲かるらしい。

とまあ、居心地のいいホステルHostal Alcatraz(オスタル・アルカトラス)に腰を落ち着け、あとは祭りまでのんびりしようぜ〜と散歩をしていた時だった。水曜の夜である。

大仁田厚を小さくまとめたような男が近づいてきた。ものすごくクセが強いが英語を喋っている。

彼はもともとこの辺りの出身らしく、今はヒューストンで働いているそうだ。ただ、この祭りの時だけは毎年帰ってくるそうで、ここソカロですでに2晩も夜を明かしているらしい。彼が寝泊まりしているのはちょうど牛たちが走り始めるスタート地点。「ここが一番よく見えるんだぜ」と得意げだ。

話が私たちのことに及んできた。祭りを見るなら今から場所取りをしておけ、と言うのだ。明日になると地元の人たちがすっかり場所取りをしてしまって、そこに座りたければ200ペソ払うはめになるらしい。「俺の取った場所、分けてやってもいいぜ」プチ大仁田はさっそくガムテープでマーキングを始めた。ココからココ……よしよし。これで2人余裕で座れるだろ?てな感じだ。「お前たち、寝袋は持っているんだろうな?」プチ大仁田はさも当たり前な風に聞いてきた。え?私たちもココで土曜日まで3泊もするんですか?野宿?夕方にはどしゃ降りのスコールが毎日降るのに??

「当たり前だろ!」プチ大仁田はそうでもしなきゃ、祭り参加不可!くらいの調子で話している。最初は、プチ大仁田につられて野宿する気まんまんだった淳ちゃんも、ちょっとヤツの張り切り具合に引き始めた。ま、また明日の朝にでも様子見に来るわ〜と私たちは、のらりくらりとプチ大仁田をかわしてホステルに戻った。プチ大仁田はかなり不満そうだったが、まあいい。明日またソカロの様子を見てみればわかるだろう。

木曜日。ホステルのベッドのスプリングがいい感じに固くて熟睡してしまい、起きたのは昼過ぎだった。慌ててソカロへ行ってみるとプチ大仁田が今度は別の観光客に熱弁をふるっている。その他の場所はいつも通り。誰も場所取りなんてしていない。私たちは遠くから様子をうかがうだけでホステルへ戻った。

金曜日。いよいよ祭り前日だ。今日は朝からソカロへ様子を見に行っていた淳ちゃんが、慌てて戻ってくる。ソカロをぐるり一周するあたりは人が座り始めているというのだ。ちょっと空いた場所へ座ってみるとどこからともなく人がやってきて「ここに座るなら200ペソ」と言ってくるらしい。プチ大仁田情報の通りだ。とはいえ、今さらノコノコとプチ大仁田のところへ行くわけにもいかない。とにかく空いている場所を探してキープせなあかんでー!と淳ちゃんは慌てているのである。

まあランチでも食べてからにしよかー、とだらだらしていたら(キッチンの火が弱すぎて、パスタを茹でるのに1時間もかかったせいだ)、ナンチャンが登場した。彼は淳ちゃんの大学時代からの友達だ。もうひとりキョウスケくんもあわせて3人組みの仲良しチーム。そのひとりがメキシコに登場したとあって淳ちゃんも大喜びなのだ。

ナンチャンはもともとメキシコで長期滞在をするためにお金を貯め、スペイン語を勉強してきていた。私たちの旅行とは期間が重ならないねーと残念がっていたものだったが、ひょんなことから2ヶ月時間ができてしまい、合流することになったのだ。私たちにとってスペイン語ができるナンチャンの登場は、ものすごく心強い。

日本を出たのが22日。関空からロスまでタイ航空で飛び、そこから陸路で来たナンチャン。ロス、ティファナ、グアナファトとバスの乗り継ぎがとてもスムーズだったので予想以上に早く着いたようだ。フラフラとさまよった私たちとは大違いである。

まあまあ、まずは1杯……てことでセルベッサ(ビール)で乾杯をし、ちょうど茹であがったパスタをツマミにしばらく話をしたところで、淳ちゃんが立ち上がった。

  「さ、場所取り行くで!」

まだ時差ぼけも治りきらないナンチャンもフラフラ立ち上がる。さっき、もう1本お代わり〜とセルベッサを買いに行ったら「アルコール販売休止」になってしまっていた。明日の13時までどこの店でもアルコールを買うことができない。けっこう本気だ、メヒコ警察。しゃーない。渋々顔のナンチャンである。

ソカロの人はさらに増えていた。なかなか良さそうな場所を見つけて腰掛けるとやはり「取り立て屋」がやってくる。「俺たちは水曜からココに居るんだ」なんて言うが、私たちは知っている。水曜日には誰も場所取りなんてしていなかった。プチ大仁田以外には。

意外にいけるんちゃうーん?と段々強気になってきた私たちは、その場所にタオルを並べておくことにした。他で場所取りをしているメヒカーノのマネをしたのだ。しかも私たちのタオルはちょうどメヒコの国旗と同じ緑と赤。メヒコに敬意を表すためにも同じ配置でキレイに並べ(ご丁寧にも残りの1色、白を表現するために真ん中には白い石を置いた)、私たちは屋台で何か食べようぜ〜とその場をあとにした。

タコスでお腹をふくらませた私たちがソカロに戻ってみると、タオルはキレイさっぱり無くなっていた。「俺のタオルぅ〜!」淳ちゃんは半泣きだ。他に並べてあったメヒカーノのタオルとどこが違ったのだろう?明らかに場所を取り返すためではなく「タオル」を狙われたに違いない。このエリアを見張っている「取り立て屋」の男の子に聞いても、その横で「番を張ってる」おばちゃんに聞いても、知らないとのたまう。そうか、そうか。自分たちが場所を取っているところに座る人間は見逃さなくても、タオルは見ていないんだな!と私たちは(日本語で)取り立て屋に言い放った。もう何があっても200ペソは払わないし、絶対最前列で見てやる!こうなったら意地だ。

私たちのやり取りを横で聞いていたアメリカ人のおばちゃん集団が声を掛けてきた。「私たちはここで休憩しているだけなの。だから私たちのあと、ここに座ったらいいわ。その代わり明日の朝までぜーったいに動いちゃダメよ。お金なんてもちろん払う必要ないわ」と弾丸のごとく喋る喋る。「タオルだってぜーったいあの子たちが盗んだに決まってるわ。んっもういやあねぇ」そこまで言うかーってな調子なのだ。だんだん私たちもアホらしくなってきて、アメリカおばちゃんたちが譲ってくれた場所を離れることにした。タオルを置いた時には感じられなかった「敵意」のようなものを、周りにいたメヒカーノから明らかに感じ始めてもいたからだ。

これが典型的アメリカ人だな、と思う。良くも悪くも強引なのだ。自分たちが正しいと思ったことは、ぜったいに曲げない。他の価値観が存在するとは露ほども思っていないらしい。とはいえ、さっきのアメリカおばちゃん達は私たちのためにいろいろ心配してくれた結果なのだが、私たち日本人から見ると「もうちょっとやり方ってもんがあるだろうに」と思ってしまうのだ。

そんなこんなで席取り合戦に少々疲れ気味の私たちは、明日、祭り当日の朝、超早起きをして場所を取ることにした。ま、この感じだといけるだろうという気がしていた。

土曜日。祭り当日の朝は5時に起きて6時にソカロへ向かった。高地の朝は冷え込む。白い息を吐きながら私たちは牛がよく見えそうなコーナーに座った。少し離れた場所からおっちゃんが近づいてくる。

  「ここには水曜から居るんだ。座るなら200ペソ」

はいはい。もう聞き飽きましたーそのセリフ、てな調子で私たちも聞く耳を持たない。それでもおっちゃんは諦めずにボソボソと何か言ってくる。しばらくするとすぐ隣に別の3人組が座った。おっちゃんはそっちへ移動し、同じことを言っているようだ。

隣の3人組はしっかり抗議した。「ここは誰のもんやねん」くらい言っているだろう。そのうち会場整備にでも来たのか、サンミゲル観光局のスタッフらしき人に訴え始め、おっちゃんはスゴスゴと引き下がるハメになってしまった。もちろん私たちのところへもパッタリ来なくなってしまった。

私たちは最前列しかもコーナーの好位置をゲットした。もちろんタダだ。牛追いが始まるのは12時だから、まだまだ待たなくてはいけないけれど、結局当日の朝で何とかなったのだ。ざまーみろ〜!と誰にでもなく毒づいてみるが、よくよく辺りを見回すと、昨日までの「取り立て屋」の姿はどこにもなく、団体で押し寄せた学生達やらおばちゃんたちやらでソカロは埋まりつつある。私たちがタオルを置いて盗られた場所も、どう考えても1人200ペソも払うわけなさそうな人たちで埋められている。結局、当日になったらウヤムヤになってしまうようなことだったのだ。もうちょっと考えて商売しろよ〜!と逆に「取り立て屋」たちを情けなく思ってしまう。今ごろ彼らはただの観客と化しているのだろうか。良くも悪くも押しが弱い、典型的なメヒカーノだ。

そうして牛が走り始めた。牛の通り道になる場所に男たちが立っている。勇敢な男たちのはずだが、もう右を向いたり左を向いたりせわしない。ジャンプして少しでも早く牛たちを見つけようとする男もいる。突然、遠くから「わーっ!」と言って人の動きが起きる。でもそれはデマだったりする。誰かがイタズラで「牛が来たぞーっ」と叫ぶのだ。肝っ玉の小さいヤツはそこでもう逃げ始める。トイレにでも行きたくなったのだろうか。ひとりの男が必死で柵を乗り越えて観客席側に行こうとしている。連れの女性が必死で助けているのだが、あっという間にブーイングが起きた。「弱虫!」「弱虫!」と言っているらしい。

牛が来た。ドッコドッコ……そんな感じで思ったよりゆっくり目の前を通り過ぎていった。

  「いけるんちゃうん?」「いっとく?」「行こかー!」

あっという間に淳ちゃんとナンチャンは観客席から、牛の通り道へ出て行ってしまった。おいおい、蹴られるなよー!少し心配だ。しかも一旦外へ出てしまったら観客席へ戻るのは至難の業だ。ギュウギュウに詰まった人の列に簡単には入れないだろうし、何しろ「弱虫」扱いされてしまう。そうは言っても意外におとなしい牛だったし、ま、大丈夫だろう。

2周目、牛が来た時の2人のビビリようと言ったらなかった。牛が見えてもいない内から逃げ始め、一緒に写真を撮ろうとしてもフレームに収まらないのだ。ちょっとちょっと情けないんちゃうん?そう声を掛けると、2人はとんでもない!という顔をした。意外にも牛は早く走るし、ものすごく恐いそうだ。上から見ているのとは大違いなんだという。

ホントかなー?と思いつつ何度か牛がやってくるのを眺めていた。そんなに恐そうには思えないのだが、ビビっているのは淳ちゃんやナンチャンだけではない。勇敢なはずのメヒコの男たちも必死で逃げまどっている。どうやら牛が向かってくるというのはホンマに恐ろしいことらしい。

それから牛たちは5周ほどソカロ周辺をまわり、2人は荒れ狂う(?)牛に突かれることなく、無事サンミゲラーダは終わった。あとでわかったことだが、淳ちゃんとナンチャン、2人が走ったバックストレート部分は牛たちにとってちょっとした中休みの場所だったらしい。そこに集まった男たちはラッキーだったはずだ。結果がどうであれ、牛に立ち向かったことで男らしさはアピールできたのだから。淳ちゃんだってナンチャンだって牛の通る道に立っただけでもスゴイと褒めてあげるべきなのかもしれない。とにかく、ケガすることなく終わってホッとひと安心だ。

祭りで仲良くなったコムニダ・デ・ハポネスの会長と夕食を食べ、カンティーナという大衆酒場に飲みに行き、祭りの夜は更けていった。独立記念日の時とは大違いで、街では若者たちが大騒ぎをしている。公衆での飲酒は厳禁だ。でもどう見てもみんな酔っぱらっている。とはいえ店で飲むにも限界があるだろう。

持ってる持ってる!酒の瓶やビール缶など明らかにお酒と判るものを持ち歩いているところを警察に見つかると、その場で取り上げられ瓶を逆さまにドボドボドボ……空にされてしまう。みんなが持っているのはカムフラージュ用プラスティックコップだ。数日前からコンビニや酒屋でよく見かけたセット。コカコーラの2リットルボトルにオリジナルコップ。これに、ラムを入れるのだ。これは警察も黙認なのだろう。よくよく見ると、普通の酔っぱらいはみんなコレを持っている。酒瓶を持って歩いているのは、大酔っぱらいだけだ。

しばらくメヒコの若者たちと大騒ぎをして、私たちはホステルへ戻った。酔っぱらってはいるもののやっぱり身の危険を感じるような雰囲気にはまったくならず、ただただ楽しい時間を過ごしたなーという印象だけが残った。


祭りが終わった。でも、本祭であるサンミゲル祭はまだ来週に控えている。

ここで暮らしている日本人の友達もたくさんできた。


  「もうしばらくここに居よかー」

淳ちゃんが言う。

たくさんの景色を見る旅もいい。でも、気に入った景色と空気を見つけたら、もう少しゆっくり味わうため、1箇所に長居する旅だっていいと思う。予算と時間に限りがあるから、たくさんの場所を訪れることはできないけれど、私たちはこれからもこうやってのんびりと旅を続けていくのかもしれない。

残念ながら、まだまだアラスカ・ユーコンの自然が頭から離れない。街を訪れ、人びとの生活を垣間見る旅もきっとおもしろいのだろうけれど、やっぱり私たちは何よりも、ドデカーイ自然の中に立ってみたい!と思っているみたいだ。

北米を離れて約1ヶ月。私たちが大好きになったサンミゲル・デ・アジェンデを出るころには、そんな、旅についての方向性もちょっとずつだがつかみかけていた。

次に目指すはカリブ海。ユカタン半島にあるダイビングのメッカ・コスメル島だ。






[今回使った足と宿]

▼グアナファトからサンミゲル・デ・アジェンデまで
Primera Plus社
http://www.flecha-amarilla.com


▼夜にはラブホテルと化す安宿・ビアネイ

Hotel Vianey


▼ビアネイのあと泊まったオスタル・アルカトラス

Hostal Alcatraz
http://www.hostelsanmiguel.com



[今回訪れたところ]
▼サンミゲル・デ・アジェンデ

http://www.guanajuato-travel.com
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ ソカロ
街の中心ソカロ。奥に見えるのがサンミゲル教区教会。ヨーロッパから宣教師が持ってきた絵はがきだけを頼りに先住民の職人が設計して建てられた教会だそうです。メキシコではめずらしいゴシック調のスタイルとメキシコ産のピンク色をした石が鑑賞のポイント。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 街
街はずれの丘から眺めた中心街。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ フルーツ
街のあちこちでフルーツをカットして売っている屋台を見つけることができます。特にマンゴーは絶品!スイカやメロンも入ってこれで10ペソ(約100円)。嬉しさのあまり顔がゆがんでいます。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 独立記念日 パレード
独立記念日の前日。街でパレードがありました。石畳にカポカポと響く蹄の音はノスタルジックで良いのですが、そのあとの馬糞が……厳しいものがあります。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 独立記念日 サンミゲル教区教会
ソカロで行われた独立記念のイベント。仕掛け花火がクルクルと回っています。人の頭上で花火が回っていることについてはあまり誰も気にしていないみたいです。奥に写っている建物がサンミゲル教区教会です。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 独立記念
ご機嫌なメヒカーノたち。でも何だかムチャしそうにない顔してますよね?ホント、純粋に楽しんでいるみたいです、イベントを。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 独立記念
独立記念日が終わると街のあちこちでこんなディスプレイが目に付くようになりました。サンミゲラーダでは、白いシャツに赤いバンダナ、ブルージーンズに黒ブーツ、というのがお決まりなようで。その中でそれぞれ個性を出すよう工夫するみたいです。私も真似したくなってバンダナだけ購入。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
祭り当日朝8時前の様子です。まだ誰もいません。上手に写真が撮れるよう、練習をしてみました。向こうから走ってくるのは、牛になったつもりのナンチャンです。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
11時前になるとずいぶん人が増えました。赤いバンダナや白いシャツ、ジーンズの人が多いのわかりますか?

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
お祭りが始まった直後の様子です。まさに朝ナンチャンが走った場所を牛が走る走る!しかもこの時はくるりと方向を変えて戻ってきたところでした。みんなも大あわて!

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
牛の通り道に降りた淳ちゃんですが、牛の姿が見えるやいなや逃げの態勢です。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
それでも牛は追いかけてきます。必死で逃げる人、無理矢理柵によじ登る人。かなりオモロイです。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
いやー行った行った!とひと安心しているところで淳ちゃんとナンチャンを撮影。2人とも楽しそうだ〜。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
このお祭りは特に若い子たちがたくさん集まります。中でもイチオシの美少年集団を発見!写真を撮らせてもらって、おばちゃんもうメロメロです。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
みんなが慌てて逃げる中、こんな勇敢なおじさんもいました。でもなんで黄色なんだろ?牛を興奮させるには「赤」でしたよね?

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
最後の方はもうもみくちゃの大騒ぎです。なんとなく牛は迷惑そうですけどね。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
ちなみに私はソカロの広場のコーナーから高見の見物。もらい物の帽子もかぶってカウガール気取りです。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
夜の街はこーんな若者たちで大盛り上がりです。もみくちゃになりながらもしっかり写真を撮ってくれるあたり、やっぱりメヒカーノだなぁと私たちは思うのです。根が真面目というか、フツーというか。ちなみに彼ら、ほとんど未成年です。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
コンビニではこんな感じで「こっそりお酒セット」が売っています。コカコーラ社製のサンミゲラーダオリジナルコップもありました。コカコーラが一番所持率高かったかな。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ サンミゲル祭
サンミゲラーダの1週間あとに行われたサンミゲル祭。たくさんのカウボーイたちがお祈りにきました。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 牛追い祭
その後始まったのがこの奇妙な催し。高い棒の先には張り子で作られた人形といくつかのお供え物。これらが、爆音とともに火薬で爆破され周囲に飛び散ります。人形のカケラ(手とか足とか)やそこについていたお供え物(パンだったり、帽子だったりいろいろ)は、弾けると同時にわっと人が集まり奪い合いが始まるといった具合。何で人形が弾けるのかとか、もう謎だらけの催しでした。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ コンチェロス
アステカに起源を持つ踊り「コンチェロス」も披露されました。青い空に映えるカラフルな衣装がとても素敵です。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 遊園地
仲良くなったみんなと遊園地へ行きました。入場料はひとり15ペソ。基本的に乗り放題なんだけど、どこもスゴイ行列!私はもともと乗り物が苦手なクチなので乗りませんでしたが、飛行機タイプの乗り物に乗った淳ちゃんたちはかなり気持ち悪そうでした……。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 遊園地
これはひとり12ペソの別料金がかかった見せ物小屋。看板にあるとおりの赤ちゃんがいるんでしょうか?かなりビビって入りました。

 
メキシコ サンミゲル・デ・アジェンデ 遊園地
まずは、大きな手を持ったネコや足が1本多い牛など奇形獣のオンパレード。次に出てきたのが、この蛇小屋。小さな女の子が蛇使いをしています。ここまで来たら信じてしまうのも当然というもの。最後の小部屋でカーテンの向こうにいたのは……頭がふたつある年頃の青年でした。ひえーっ!!と驚いた私たちは写真を撮っては失礼だろう、と写真も撮らず、「もう終わりだ」てな具合で神妙な顔をするオヤジにすっかりだまされて小屋を出てきたのでした。でもよくよく考えてみると、もうひとつの頭(女の子)とフツーに話をしたり、その頭は首の横から出ていたり、もうおかしいところだらけ!くーっ!だまされた〜!




▼PART20 2004.11.10 優雅な休日のはずが、ダイブ合宿に! 〜カリブ海に浮かぶ島・コスメル
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