「タルキートナ・ホステル」に迎えに来たのは、 来た時と同じ女性だった。とても居心地がよかったことを伝えるととても嬉しそうにしている。
2段ベッドばかりの部屋で寝ることも、キッチンを共同で使うことも、くつろぐ場所はリビングルームしかないことも、私には全て初めての経験だった。ひとりになれる場所がないのだ。とても息苦しい。
それでも、とゆっくり辺りを見まわしてみる。一気に掃除をする午前、それぞれの時間を過ごす午後、新しい客を迎える夕方、一日を終えて集まる夜…。私は、この流れの中で自分のペースで過ごしたい時間を過ごせばいいのだ、と思えてくる。もう次の宿からは、ダブルベッドの個室でなくても過ごせそうだ。こうしてどんどんたくましくなっていっちゃうのねー、と淳ちゃんに言ってみるがドミトリーに慣れている彼にはピンとこないらしい。
すっかり慣れてきた4日目の朝。女主人ヘザーはなんだか忙しそうにしている。掃除と洗濯を主に担当しているスーの姿が見えないのだ。彼女は、このホステルの庭にテントを張って何年も住んでいるのだが、今日は近くの大きいホテルが忙しくなったので手伝いにいったらしい。
「キッチンと2つのシャワールームを拭いてくれない?15ドルあげるよ。」
ヘザーは私たちにそう提案してきた。
なかなかできない体験だ。私たちは2つ返事でOKした。
ヘザーは30分もあれば終わると言っていた。時給にしたらけっこう高い。
それでも私たちは1時間もかけて掃除をしてしまった。終わった時のヘザーの喜びようといったらない。日本人の掃除はアメリカ人にしたらやはり「やりすぎ」なのだ。
日本人はきっちりしている、というイメージはどうやら一般的らしい。日本人は部屋を貸してもきれいに使うから、と最初から日本人割引を設定している宿もあるくらいだ。ヘザーもきっと私たちをそう見ていたのだ。
そうそう。それからホステルについても少し。
アラスカの宿は高い。以前2人でアメリカをバイクで旅した時もそうだったが、北米地域はヨーロッパに比べてユースホステルもあまり多くなく、宿泊代が高くつく印象がある。特にこの季節、稼ぎ時のアラスカではホテルやモーターインなど80ドルは下らないだろう。そこで、ホステルだ。現地で手に入る無料のガイドブックにはホテル&モーターインとは別に、ホステルというカテゴリがある。ホステルによって程度の差はあるものの、ドミトリーにキッチンが共同で使えるというシステムが一般的のようだ。だいたい1人1泊20ドルまでで泊まれる。とは言っても、夫婦で1泊約40ドルというのは、私たちにはけっこう痛い出費であることに変わりはない。早く物価の安い地域へ行きたいのだが、アラスカの魔力につかまって、なかなか抜けられないのもつらいところだ。
と、予想外に楽しんだタルキートナでの日々を思い出しながら、バスはデナリ国立公園へ向かっている。アンカレジから乗ったバスと同じバスだ。空には少しずつ雲が広がってきている。まずい。今日から6日間テント生活なのだ。雨が降ってしまったら、安物テントの中の荷物まで濡れてしまう。何より、デナリ(マッキンリー)の姿を拝めないかもしれないのだ。
デナリ国立公園は、北米最高峰のデナリ(マッキンリー)山(6194メートル)を有する、手つかずの自然が残された最後の聖地だ。広さはなんと日本の四国に相当するほど。「人間は大自然にとって闖入者である」という考え方をベースにしているので人間の出入りは厳しく制限されている。
般車両の乗り入れは公園入口から14.8マイル(約24キロ)まで。その後は、公園運営のシャトルバスに乗り換えないといけない。観光客は、シャトルバスで公園入口のビジターセンターから、公園最深部ワンダーレイクまで約5.5時間かけて行くことができる。特に装備のない観光客はそのまま引き返すのだが、私たちはせっかくだから、そこでキャンプをしたいと思っている。
いよいよ公園入口を過ぎ、バスはビジターセンターへ着いた。
ビジターセンターでは、キャンプサイトの予約や発券、写真集や動植物ガイドブックの販売、レンジャー(公園監視員)によるレクチャーなどあらゆる情報が手に入る。公園へ着いたら、まず行っておきたい場所だ。
ずいぶん順番待ちをして、英語でのやりとりに悪戦苦闘しながら、淳ちゃんは予約済みだったキャンプサイトのチケットを取ってきてくれた。15・16日が、ビジターセンター近くのライリー・クリーク、17・18日がデナリ(マッキンリー)のふもとワンダー・レイク、19日はふたたびライリー・クリークだ。
公園内には全部で7つのキャンプ場がある。公園入り口付近には、ライリー・クリークとモリノ・バックパッカーの2つ。デナリ(マッキンリー)のふもとワンダー・レイク。それ以外の4つは公園入口から半分も行かない場所に集中している。
しかも、ワンダー・レイクキャンプ場は今年で閉鎖になるという。どうりで、予約が取れないわけだ。
ワンダー・レイクに向かうには早朝6時30分発のバスがいいから、前日はライリー・クリークに泊まるのが便利だ。おまけに、ライリー・クリークには公園内唯一のストアとシャワールームもある。
ビジターセンターから出ている循環バスに乗り、私たちはライリー・クリークに降り立った。何もない。だだっ広いだけだ。日本のキャンプ場を想像していた私たちは戸惑ってしまう。いったい私たちのサイトはどこにあるんだろう。考えられるのは、この広場のずっとずっと先か、横に広がる針葉樹の森のなか、どちらかだ。
視界に入る場所を歩き回ってみたがそれらしいサイトは無い。
キャンプサイトは、森のなかだったのだ。
ずいぶん歩き回ってヘトヘトになってしまった私たちは、トイレさえ近ければどこでもいいやと入り口近くの適当なサイトでテントを張った。周りには、家のように大きいキャンピングカーがいくつも止まっているのが見える。
無事テントを張り終え、荷物を解き、遅めの昼食を作っている時、犬を連れた老人がほほえみながら近づいてきた。腕にはホストという腕章を付けている。
私たちはテントを張る場所を間違えている、と彼は言った。
がーん。
やっと。やっとここまでたどり着いて、荷物まで解いたのに。違うのか……。
私たちはよっぽどトホホな顔をしていたのだろう。
「急がなくていいから」と言って、彼はまた歩いていった。
キャンプサイトには、こういうホストと呼ばれる老人が常駐している。キャンプ場内の見回りや宿泊者の相談相手などを務めているようだ。おかげで、キャンプ場の風紀は保たれていてどこも雰囲気がいい。
私たちの本当のサイトは、キャンプ場の最奥にあった。車の無い人専用のサイトだ。それでも、ゆったりスペースが取ってある。おまけに直火(焚き火)もOK。少し増えてきた蚊除けにも、焚き火は使える。
さっき遅めの昼食を取ったばかりだが、早めの夕食を取ることにした。
私たちはアンカレジのアウトドアショップで大量のドライフードを買い込んできている。ドライフードとは、フリーズドライにしたアルミ袋入りの食料で、お湯を入れればできあがる優れものだ。登山などによく使われるそうだが私たちは未経験。そういえば、タルキートナで会った4人の山男たちも、残り物のドライフードを食べていた。日本製ならおこわとか親子丼とかあるのだが、私たちのものはもちろんアメリカ製。シチューとかチリビーンズとか洋食ばかり12食分もある。
お昼に続いて2食目のドライフードだ。シチューだけでは味気ないので、すぐ茹であがるパスタも一緒に加えて食べている。全米コンクールで金賞を取っただけあってこれがなかなか美味しい。デナリ入りのお祝いだ!とライリー・クリークのストアで買ったビールも一緒に流し込んだ。
その夜は、ポツポツとテントを叩く雨音が何回か聞こえた。
デナリ国立公園は標高が500〜1200メートルの間にあり、一日の気温差が激しい。ライリー・クリークでも朝方はぐぐっと冷え込んだ。
淳ちゃんは鼻をグズグズいわしている。
朝の冷え込みで二度寝をしてしまい、起きたのは昼過ぎだった。白夜で眠るのもずいぶん慣れたものだ。
午後からのレンジャープログラムに参加する予定だったが遅れたので、自分たちで同じコースを歩いてみることにする。ビジターセンターからほど近い、ホースシュー・レイクコースだ。
アラスカ鉄道の線路を渡るとレンジャーが大きな声で話をしている。追いついたのだ。そのまま、合流してレンジャーの後についていく。
丘を登り切ったところで、なにやら人がざわついている。下に広がる湖に、ムース(アメリカヘラジカ)の親子がいるのだ。初めて見る野生動物の姿に淳ちゃんは少し興奮気味だ。それでも双眼鏡でやっと見える距離。レンジャーは「あと20分はそばに行かないようにしましょう」と言っている。彼女たちの姿が見えなくなってから、私たちは水ぎわへ降りていった。
ビジターセンターで、週間天気をチェックしてからライリー・クリークへ戻った。明日の予報は雨。あさっても曇りになっている。デナリ(マッキンリー)は待っていてくれるんだろうか。
4食目のドライフードを食べて眠ることにした。
夜中過ぎ、大粒の雨がテントを叩いていた。
[今回使った足と宿]
▼ホステルについて
http://hostelhandbook.com
▼タルキートナからデナリ国立公園へのバス
ALASKA TRAILS (PARKS HIGHWAY EXPRESS INC.)
1-888-600-6001
http://www.AlaskaShuttle.com
▼デナリ国立公園
Denali National Park&Preserve
http://www.nps.gov/dena/
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キッチンの床をモップがけしています。ここは玄関から靴を脱ぐ方式なのできもちいいです。
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ライリー・クリークの大型車専用サイト。
この奥にまだ木製のテーブルなどが用意されています。とにかく広い!
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アメリカ製ドライフード。
右下のテリヤキチキンとご飯、というのは一緒くたになってお粥状態でした。
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これがそのテリヤキチキンとご飯のお粥。
まぁまぁ美味しいんです。公園内のどのキャンプ場でも、熊が寄ってくると行けないので食事はテントから100メートル離れたところですることになっています。
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ライリー・クリークの正しいサイト。蚊が増えてきたので焚き火で追い出しています。薪は高かったので、自分たちで枯れ木を拾ってきました。
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レンジャープログラムの様子。
これはアスペン(ヤマナラシ)の木。冬になるとムースが木の皮を食べてしまうそうです。その跡を見せてもらっているところ。
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親子が去ったあと、降りてみました。2匹が消えた方角を必死に探している淳ちゃんともうひとり。足下にはビーバーのダムがありました。
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